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「家事をやらない」という選択肢を持つ

2023年は、今までにないほど心身ともに不調が続く年だった。なかなかやる気が起きず、家事も仕事も100%の自分で取り組めない。動けない自分にもどかしさを感じていた。

ただ、家事については「やらない選択」をしても以前ほど罪悪感がなくなった。というのも、夫や子どもも家事をするようになったからだ。

私が以前、めまいで倒れて動けなくなったときの話はこちらのnoteで。

このnoteを書いたのは2年半前。今のわが家の家事分担は、かなり変化した。私の家事に対する意識も大きく変化している。

そんなわが家の変化をまとめてみた。

以前の家事の割合は9:1

専業主婦時代が長かったこともあり、2018年に在宅でライターの仕事をするようになってからも家事は私の担当だった。どんなに仕事に集中していても、「あ、そろそろ夕飯を作る時間だ」「洗濯物を干さなきゃ」と家事が気になり、執筆の手を止めてしまう。

生活していくうえで、家事は欠かせない。どんなにできないとき、やりたくないときがあっても、ほかにやる人がいないから私がやるしかない。そう思い込んでいた。

家事の割合は私9:夫1くらい。子どもはゼロ。夫はコロナ禍に入る前からほぼ在宅ワーク。息子は中2から不登校で家にいる。
こんな状況なのに、私が働き始めても家事分担の割合が変わらないのはどうなんだろう?と不満を募らせていた。

この点については、私もただイライラするだけで夫と話し合う機会を持たなかったのは良くなかったなと思う。

できる人がやればいい

以前は、私が出かけるときは家事を「頼む」必要があった。そして、頼むと不機嫌になる。
「ご飯どうする?」
この夫のセリフは、自分と子どものご飯をどうすればいいのかという意味。私が作って置いていくのか、買ってくればいいのかというニュアンスが含まれている。自分でつくるという考えは念頭にないようだった。まぁたいてい「適当に食べてて」と言っていたかな。

先ほど紹介したnoteに書いてあるように、2021年の10月頃から夫が家事をするようになった。

私が倒れたことがきっかけなのか、夫の中でどんな心境の変化があったのかはわからないが、翌年からは私が頼まなくても晩ごはんをつくるようになったのだ。
(職業病かもしれないけれど、いつか夫に家事に対する意識の変化をインタビューしてみたい)

これを機に、私は家事を手放した。というよりも、私ひとりが家事を頑張らなければならない、完璧にこなさなければならないという気持ちを手放したといったほうがいいかもしれない。

「ちょっと仕事が大変だから」「仕事で出かけるから」
と言えば、同じ在宅ワークの夫がご飯づくりをしている。夫も忙しいときは、お弁当を買ってきたり、デリバリーしたり。以前は、そのことについても罪悪感があったが、今はまったくない。
最近の「ご飯どうする?」というセリフは、夫がつくること前提で、妻である私の分も食事を用意しておいたほうがいいのか?という意味に変わった。

家族が家事をやるようになった理由の一つは「片付け」

私が整理収納アドバイザー1級の資格を取ったのは2019年。少しずつ家の整理をしていった。
特に、力を入れたのはキッチン。家族全員がどこに何があるのかを把握できるようにした。
「ママ、あれどこー?」と聞かれなくなったので、ストレスフリー。

また、子どもが私の身長を追い越したので、現在、家族3人でもっとも背が低いのは私。だから私の目線で収納を考えれば、誰にとっても使いやすくなる。

キッチンに限らず、モノの定位置を家族全員がわかるようにすると、あらゆる面でラク。片付けの効果は絶大なのだ。

「できない」ではなく「やらない」意識

掃除についても手放したことがある。毎日の掃除機がけをやめたのだ。
来客があったら(コロナ以降ほとんど来客はないけれど)、すぐに掃除できる仕組みをつくったので特に困ったことはない。これも片付けの効果。

こんなもんでいいなんて…かつての私は家事を頑張りすぎていたんだなと気づく。

家事をやらなければならないのにできない。

この考え方は、常に自分に罪悪感を生む。
だから、私は意識を変えた。

できないのではなく、やらない!

こう考えることで、自分を責めなくなったのだ。私がイライラしなくなったので、家の中にあった殺伐とした雰囲気が消えた。

私がやらなくても、家族がやってくれる、やらなくても、家族は私を責めたりしない。だから自分を責める必要もない。

思い込みを捨てることが大事なのだ。

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整理収納の仕事については、こちらのホームページをご覧ください。


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