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青い人との対局

現在はもう将棋を指すことはない。
本業の静かな数学の世界の遊子で、藤井聡太王位棋聖の対局以外の日は、原稿書きと自分の趣味の数学で手一杯。大学以降の数学の楽しさを広めるための活動している。いまは中学・高校の数学を主に扱っているが、雑談では背伸びして高校から大学への橋渡し的なことを書いている。数学は旅と同じだと思う。それも当て度のない、寅さんのような旅。

将棋はネットでも指さない。一度だけ友人の家で将棋24を試させてもらったが、将棋を指している気がしなかった。やはり駒を手に持ち、パシッと指したい。たった15分の持ち時間ではアマ大会のようで趣味ではなくなる。

将棋は35歳が全盛期だったと思う。町道場では五段。実質は三、四段かな。いまは、2級あればいい方に思う。このときの手引書が扉絵の2冊。これに必死の本と5手詰の本で三段から五段に飛び級。街道場の大会で3週連続優勝が理由だった。

この頃、いまでは名の知られた多くの将棋少年と指した。
旅行の合間に将棋道場を見つけては将棋を指していたので、大抵の場合、どの将棋道場へ行っても力量を測るため、新顔にはその道場で該当段位前後の強い人を対局に当ててくる。三段の頃は私もそういう人の一人だった。一見の将棋道場では三、四段で指していた。これくらいが気兼ねなく遊べるからだ。下手に、五段と申告すると軽い気持ちで遊べなくなる。

柏将棋センターは長いアーケードを抜けた先のビルの二階にあった。そのセンター近くのアーケード出口には「新星堂」という書店が二階にあった頃の話だ。

そこには少なくとも2回は行ったが、初回の対戦相手に小学3年生くらいの少年を振り分けられた。石田和雄九段はその少年を呼び寄せ、私と対局するように申し付けていたが、時間設定はなかった。

でも対局が始まって5手目くらいに作戦を何にするか迷っていると、その少年は「時計を使っていいですか」とぶっきら棒にいい、勝手に持ち時間15分に設定してしまった。とても生意気な少年だ。どこの将棋道場にもいる。豊島、齋藤、藤井、梶浦のような少年は珍重されるべき存在なのだ。

畠山鎮さんが幹事をしたから関西は強くなったと思う。畠山八段自身も天才少年だったから現実をよく知っていたのだろう。だからこそ才能を持った少年たちを強くするために、上には上がいることを教え、厳しく指導をしたのだろうと思う。ポスト谷川を待っていたのは彼かもしれない。
(すべて推測なので、実際はどうだったのか知りたい)

ふだんは1時間くらいかけて対局するのに、大会でもあるまいにその時間設定だ。何がおもろいものか。記憶にないが5分で負けたに違いない。超早指しで、私が指して1秒で返してくる。少しは考えろと言いたいが子供の将棋はこういうものだ。

私はその場その場で考えて指すから遅くなる。だから後手番の方が指し易くらくだ。

その少年は4年生で全国大会優勝した。

藤井聡太四段の30連勝目もとめた。

将棋少年は大抵は早指しで余所見しながら対局する。相手が考えているときには他の対局の将棋をみて考えている。畠山鎮八段はここの指導をしたのだと思う。余所見をせずに自分の将棋に集中しなさいと。実際、谷川九段や豊島竜王、藤井王位は自分の将棋に集中している。そして結果も残している。でもこういう少年は極めて、極めて一部だ。

アマ大会で鼻っ柱を折られ企業に勤める人も少なくない。これは数学の世界に似ている。井の中の蛙、大海を知って溺れる。

こんな仕打ちを受けても将棋は大好きだ。いまは藤井聡太王位棋聖と西山朋佳三冠の将棋がおもしろい。最近、高田明宏四段が加わった。室田女流二段には不評のよう。

将棋をやったから、数学をやったから、集中力や考える力がつくのではない。解りやすい例を挙げれば、藤井少年のように負けず嫌いだと、自然と集中力も考える力もつく。齋藤慎太郎八段、梶浦宏孝七段のような人柄で強いのは個人的に好もしいし珍しい。

どこの道場にも態度の悪いおじさんはいるが...その柏での余談
ある青年が一人将棋を指しに来た。気力が低く、四段のおじさん相手に二枚落ちで指していた。その青年が穴熊戦法を採用したら、四段のおじさんは仲

(以下、現実だが後味悪し)
将棋道場は人と人との交流なのでいろいろなことがある。
道場が不安なら、初心者歓迎で指導もしてくれるところを選ぶのがよい。

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