時間のある時、ちょっと思考してみましょう。自分の人生というのは、自分の為にあるのか、人の為にあるのか?そして死は・・・
誰にも恥じることない事を言い、誰にも恥じない事を実行せよ、という意味です。 吉田松陰(幕末の思想家)に「至誠通天」という言葉があります。 純粋な誠の精神は天も認めてくれるという意味です。 自分の言動、こうありたいものです。
迷うとは、選択肢がある事で発生します。 絶対にそれしかない、という事なら人は迷わないのです。 日々、絶対にこれだ、これしかない、という生き方をしたいものです。
人は、人為的な事項に関しては、繰り返しに飽きてくるものです。 しかし、これは自然の摂理ですね。 この繰り返しを繰り返す事で、文化が生まれ、文明が発達してきたのです。 大いなる繰り返しを認識しましょう。
自分が困ったときには、誰彼関係なしに助けて欲しいと思うのが人間です。 同じように、人が困っているときには、誰彼なく助けてやる事です。 しかし、自分が助けられる人になっていることが大切なのですが・・・。
情熱的思考と情熱的行動と理性的思考と理性的行動 青年には、情熱的な思考と理性的な行動を 壮年には、この二つのバランスを 老年には、理性的な思考と情熱的な行動を求めたいと思います。
毎日毎日がこうありたいものです。
人間関係は非常に難しいものです。 直接に関係する人に対する相互の影響は、注意すればある程度コントロールできます。 しかし間接的な人間関係は、自己の知らないところで、発生しています。 そして、それが知らぬ間に勝手に一人歩きしていきます。 人間関係は、非常に面倒くさいものである。
エジソンの言葉を紹介します。エジソンはアメリカの発明家、詳しくはNETでどうぞ。 「私は、過去、失敗ばかりでした。 無駄な実験を何百回、何前回と繰り返しました。 そのおかげで失敗の方法を学びました。失敗するという事を学びました。 後に残っているのは成功する方法だけです。」 多少、脚色はありますが・・・。
人間はお互いに信頼する事で、いい人間関係が築かれます。 本当の事というのは、ともすればその人にとって辛辣なことも含まれます。 これから付き合っていくと決めた相手とは、まず人間関係を築くことから始めましょう。
一流の定義はないのですが、最高の、あるいは最善のことを言います。 自分の言動を反省してみましょう。
苦労すると人の本当の気持ちがわかるといいます。 間違いではないのですが、それによって自分自身の気持ちや考え方が変わります。 苦労した時の自分自身の考え方がわかることが重要なのです。 逆に言えば、人の気持ちを正負で想像してみると、ある程度予想はつきます。 しかし自分の考えとか気持ちというのは、ショックを受けないと解らないものなのです。
詳しい解説はなし。 いい加減という言葉があります。 これは足したり引いたり=加減して丁度いいほどに収める事です。 いい加減を見極めたいものです。
簡単にやる、という事を、手抜きをすることになっていないのかという疑問がわきます。 時間の短縮や効率化が目的なのですが、その手段はその工程を省略する事ではないのです。 全ての手段の必要性や、個々の手段の同時進行や、手段の変更など、手段の必要工程を省くことではなく変化させることなのです。 これを出来る人は、相当な知識技術そして経験がないと簡単にやる方法は取れないのです。
自慢話を聞いていると、他の否定です。 そして過去の話なのです。 愚痴は、自己の自慢話を言うための前置きのようです。 自慢話は、現在を否定したい人が、現在認められていない人が、唯一、人に言える話題なのですね。
自分の考えが無い人ほど、他人を批判するものです。 他人を批判する事で自分には見識があると勘違いしています。 また、自分の意見を持ち、それに固執すると他を認めようとしないものです。 しかし本物の人物というのは、自己の見識を持っていますね。 本物だから自己の見識を疑い、他の人の意見を聴き そしてさらに進化していくのです。