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ルート1(1)・海からの贈物(GIFT FROM THE SEA)/アン・モロウ・リンドバーグ

「オリエント急行の殺人」の中に「リンドバーグ愛児誘拐事件」を思わせる事件が出てきたことから連想されたのが、リンドバーグ夫人であるA・M・リンドバーグの「海からの贈物」です。

この本は有名な随筆で、子供の頃から名前は聞いていました。
ずいぶん昔に、でも大人になってから一度読んでいる作品で、今回は再読になりました。

◆貝がらが映す、生き方


自らも女性飛行家として空を飛び、また文筆家としても著作を残しているアン・モロウ・リンドバーグのこの作品は、彼女が離島に単身滞在した時に思索した内容が綴られたものです。

女として、現代人としての「生き方」、「現代の社会」の前に乱され見失われている、生きるうえで「ほんとうに大切な態度」。それを暗示するのが海辺で拾って来たいくつかの貝殻です。そのひとつひとつになぞらえて、著者は人生のひとつひとつの段階について、立ち戻るべき生き方について考えを巡らせます。

「ほら貝」は「簡易」について思わせ、「つめた貝」は「孤独」の豊かさについて、「日の出貝」は新鮮で純粋でそれゆえ「はかない」人生におけるある時間について、考えさせます。

そして人生の時間を積み重ねた姿は「牡蠣」になぞらえられ、最終的な成熟の段階ともおもわれる「たこぶね」の姿で、ひとと、人間同士の関わりについての「理想」が述べられます。
以下に少しだけ引用しておきましょう。

自分自身の心臓部と繋がっている時にだけ、我々は他人とも繋がりが在るのだということが、私には漸く解ってきた。
つめた貝は我々に孤独ということを教え、中心に向え、と清教徒の聖者たちは言い、自分を見失わずにいることが内部への道である、とプロティノスは説き、シエナの聖カテリナによれば、巡礼は自覚の独房で生れ変らなければならない。
前にあった関係に恒久的に戻ることはできないという事実を、そしてもっと深い意味で、或る関係を同じ一つの形で保ってはいけないということを私たちは段々受け入れるようになる。そしてそれは悲劇ではなくて、伸びていく生命の絶え間がない奇蹟の一部なのである。

訳(少々古典的で“翻訳調”である部分もありますが、格調高く、けれど読みやすいです)のためか、文章からも内容からも、ストイックかつ詩的な印象を受けます。
また、ずいぶん感覚の鋭い人が書いたものだと感じました。

「女性のための」という紹介のされ方をしますし、確かに本文内でも「(わたしたち)女は」と書かれる部分が多いですが、著者もたびたび書いているように、この本の内容は女性のみに関係するものではなく、広くひと、特に「現代人」に共通するのは間違いありません。

長い間「名著」と言われ続けているのは、こういうことか、と今回改めて思いました。
以前はずいぶん若い頃に読んだと思います。
今だからわかる、というものの一例かもしれないとも感じました。

薄い本ですし、すぐに読めます。
新潮文庫七十八刷の表紙はなかなかすてきです。

◆次は「シェリー夫人」の作品へ

さてこの本ですが、以前は著者名が「リンドバーグ夫人」となっていました。

そちらのほうが好みなので、その頃の版を古書店で探そう、という人もいましたので、なるほど好きずきというものだな、と思いましたが、わたしは昔から「リンドバーグ夫人」と背表紙にあるのが一寸不思議に感じられていて、「夫人」として書いた夫の伝記などでもなし、著作家なら普通に「アン・モロウ・リンドバーグ」と表記していいんじゃないかと思っていたのですが、現在書店に並んでいる本は、アン・モロウ・リンドバーグ著となっています。

いつ変わったんだろう。
これも時代の趨勢なのかな?

次は「リンドバーグ夫人」と同様に「シェリー夫人」という表記が不思議に感じられていた作品、メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」を読んでみようと思います。
ちょっと前から読んでみたかったんです。
なかなか「深い」あるいは「意外な」作品らしいです。






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