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協調性、謙虚さ、尊敬の2021へ

私には、協調性がない。

就活で思ったような結果が出ない理由を、そう分析した。

インタビューなどで話をすると「若いのにそんなに考えていてすごいですね」と言われる。なのに面接では落とされる。その理由を、「一人の人間として応援はするけれど、一緒に働きたいとは思わない」ような人間だからだと分析した。

考えているのに考えていないと面接で思われるのは、見せ方の問題なので就活の型を学べば解決するはずだ。しかし、一緒に働きたいと思えないというのは、確かにそうかもなと自分でも納得してしまうところがあるので根深い問題だ。

最近友人に「人を切り捨てるのが当たり前になっていて、勝手に孤高の戦士として生きている節がある」と、「それな」としか返せない見事な分析をされた。私が卒論を書いている好きな哲学の流派の原則は「他人の気持ちや行動はコントロールしようとするな、自分の気持ちと行動に専念しろ」だもの。

そして私がそうなったのにも理由がある。振り返ると、「一見協調性があった高校時代→うわべの協調性すらなくした大学時代」だったからだ。

一見、協調性があった高校時代

協調性とは、「自分の意見を押し殺してでも、グループの空気を守ること」だと思っていた。

高校生までの私は、まさにそれだった。

自分の頭で考えることもせず、なんとなく偏差値が高い学校を目指し、なんとなく目立つ友人に賛成していた。そうすれば、過半数の方に所属することができた。

しかしその代償として、私は自己肯定感が低かった。

自らいじられキャラを演じ、「いじり」を否定されることでとても傷ついた。私はこうすることで他人と関係を持っているのに、それを対等じゃないみたいに言わないで、と。

ふわふわキャラを目指し、誰にでも好かれるような人を目指していた。あまりに実行できていなさすぎて、周りから見たらそんな人物を目指していたことにもびっくりされそうだけど。

そんな自分に、疑問を持ち始めたのはアメリカの大学に進学することを決めてからだった。学歴社会から抜け出して、自分のやりたいことを探したくなった。

うわべの協調性すらなくした大学時代

Facebookを振り返ると、二十歳になった時の目標をまとめた投稿が残っていた。その一部がこちら

ここまでは新しい自分の話で、あとは自分の好きじゃないところを少しずつ良くして行きたいですね、人柄の部分です。大きいテーマ的には自分と他人を切り離したいです、もっと。今もだいぶできるようになったんですよ、投げやりとも言われるけれど。でも、今の社会の傾向としても今まで私がいた家庭環境的にも、人の世界に踏み込むっていうのが習慣化しちゃっているんですよね。みんなが一人で生きる必要はないし、そんな世界では強い人しか生きていけないとは思います。人間はそこまで強くない。でも、そんな風に生きていけるくらいに強くなりたいんです私。...まずは自分が、個々が自分の幸・不幸を決めて、かつ全員が幸せなことを喜べる世界に行かないと。

つまり、①他人と自分を切り離す②その上で個人として他人の幸せを尊重する。そんな目標だ。

私の大学生活は、まさにそれを目指して進んできたなと思う。

不器用な私は、自己肯定感を上げるために、一度自分と他人を切り離す必要があった。他人の評価を無視する必要があったのだ。

その結果、自分の意見を強く持ち、「私はこう思う、こうしたい。あなたがどう思っても自由だし、意見が違うから一緒にいられないと離れても、私はその選択を尊重する」といわば周りの人を切り捨てる、今の私ができあがった。

協調性をたずさえて、社会にでよう

協調性がないということに課題を感じたのは、就活がきっかけだった。しかし、就活のために、そんな難しそうなものを手に入れようとは思わない。私は、「誰かと生きていくことができる自分」でありたいと願うから、2021年は特に協調性を意識して生きてみようと思う(やはり自己主張が強い)。

今私が持っている協調性の定義は、高校生の頃とは違う。今は協調性を「自分だけではなく、関係者全員の幸福を考えて選択する力」だと考えている。盲目的に相手のために自分を殺すのではなく、運命共同体として、選択を決める要素として全体を見る。

私がどうしたいではなく、「私はこうしたいが、それは相手にとってどうだろう」という検証を挟むこと。おそらく90%の人は呼吸をするようにそれをしているのだが、私はぜんぜんできない。

冒頭のグサりと刺さる分析をした友人に「一人でやるより、協力した方がたくさんのことができるからね」とも言われた。

いや、そうなんだよな。

そう頭では思う反面、一人でやった方が満足いくものができる、一人でやった方が誰かを傷つけたり不満を持たせずにすむと経験から感じてしまう自分もいる。

ところで私は、理性でもなく感情でもなく、本能的な感情に理性で争うことが人間の特徴であり美しさの根源だと考えている。

私は理性的に、誰かと一緒に生きたい、生きるべきだと思った。

だから、怖がる感情を抑え、協調性を身につける一年を目指します。

謙虚さと尊敬

タイトルにある他二つの単語は、協調性を身につける上で大切にしようと思っているものだ。

他人の評価を気にせず自分の意見を持つ。

から、

他人の考えから、何か自分も生かせるものはないかと学ぶへ。

自分の過去を大切にし、その延長線上にある自分の考えを信じる。

から、

自分が選ばなかった道の良さを理解し、尊敬するへ。

その謙虚さと尊敬の心を持つことが、協調性を育む上で必要だと考えた。

この通り、今できないことは、「前できなかったことができるようになった」代償だったりするかもしれない。人は行ったり来たりしながら着実に前に進むものだから、目の前にある課題に向き合い続けて行こうと思う。

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