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8/3 引き出しから、フィルムカメラを取り出した。

いつもよりも余裕を持って、夏休みを迎えた。レポートが3本とテストが2つ、卒論の中間報告書。少なくなった課題を見て、最後の夏休みが始まる実感が強くなった。

最近、ことあるごとに「最後の」学生生活を送っていることを感じる。出会う人で会う人に最後だねと言われることも、もうやらなければいけないことがほとんどないことも、バイト先に先輩がいないことも、全部がその理由になっている。

高校生の時思い描いていた大学生活にはほとんどならなかったし、一年前に思っていた自分とも全然違う。それは少し悔しくもあるけれど、どちらかというと思い通りにいかないことが面白かったのかもしれない。


でも、もう少しだけ頑張る自分になりたい。

もちろん今の自分も、自分の生活も好き。

ビアガーデンのバイトは自分に合っていると思うし、サークルに入っていない自分にとって初めての後輩ができて新しい自分のキャラに出会えた。

イタリアンのバイトは相変わらずで、そこにいけば自分を受け入れてくれる人がいることに安心する。

人生で初めて推しができて、今までの関係性が濃くなったり、新しい友人ができたり、自分の感情の起伏がいい意味で大きくなったことを感じる。

今まで以上に、大学の友人と会うことも増えて、それぞれの友人に素敵なところがあるんだなと再認識することもできた。


だけど、なんとなく自分の時間を自分で支えている実感が湧かない。

大きなことがしたいわけでも、今の生活に満足していないわけでもなくて。でもその言葉が本心ではないような気がするから。

今年に入って何もやる気になれなくて、好きだったことや頑張れていたことから逃げて、そこに戻りたいともまだ思えていない自分もいる。


何かを消費するだけの自分に、ワクワクできていないのかもしれない。

本を読む、映画を見る、ご飯を食べる、推しを応援する、買い物に行く、遊びに出かける。

消費されるように感じる毎日がしんどいのかもしれない。


映画を作る側にまわりたいと思っていたこと、自分の写真を見てもらいたいと思っていたこと、コピーライター養成講座にもう一度挑戦したいこと、やっぱり自分の文章を読んでもらいたいこと。

その根底には、自分が作り手にまわりたいという気持ちがあるんだろうな。

この文章を書きながら、涙が出てきたということは、ちょっぴり本気でこれを進めた方が自分は幸せになれそう。


机の引き出しから、撮りかけだったフィルムカメラを取り出した。

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