言喰

しばしば誤解を生ぜしむる程に表現力の不足した世界が好き。そこが私のノスタルジアだから。

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しばしば誤解を生ぜしむる程に表現力の不足した世界が好き。そこが私のノスタルジアだから。

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術語

 本著は,造語に加えて既存の語についても少し独特な定義をしている。これらを術語と総称して本項に整理する。この目的上,本項は,他項と内容が重複する箇所がかなり生じてくると予想される。ところで,飽く迄も本項は,本文を正しい順序で読み進めた読者がそれでも述語の多さに混乱を催したときに,これを緩和する為の薬としてしたためるつもりであるから,本項だけを読んでそれぞれの述語を知り尽くすということは凡そなかろうし,本著の思想を解り尽くすということはもっとなかろう。読者には是非,ほんらい想定

    • 笑いのしくみ

       是正衝動とこれへの制動という心的過程に惹起される生理的反応を,われわれは「笑い」と呼んできたのではあるまいか。  ここで,是正衝動とは,或る(もちろんアニマシーな)信念体系に対して,これを是正してやりたいと思う衝動のことであると定義しよう。  例えば,"Ushers will eat latecomers." は大変な様態であるから是正衝動を惹き起こすが,然るにこれが劇場内に堂々と掲げられた看板の文言であれば,"Ushers will seat latecomers."

      • 命令の成否

         本項では,我々が「命令」という語をどう解するべきか,殊に,叱責・説教が命令をするまさにそのことによって惹起されるような機制をどう解するべきかについて,一つの案を書き置く。  「命令」という語は,次のように概説されることが多い。  ここで「上位の者」と「下位の者」という語は,それぞれ(リーガルであれコンベンショナルあれ)債権者とその債務者の謂であると解してよかろう。  しかして甲氏から乙氏への行為丙の「命令」は,丙に就き,甲が乙の債権者だと解していることを黙示してしまう

        • 恋愛

           恋と愛は,しばしば区別されずに用いられるし,いっけん区別されるときにも,厳密になされる場合は殆どないようにみえる。本書では,これらを次のように区別する。  恋とは,彼をそのサブジェクトとして,自らを或るオブジェクトに在らしめんとする症候群の名である。この「彼」を,本書では被恋者と呼ぶことにする。  ゆえに,最高純度の恋において,被恋者がもはや私を見なくなったと確証された場合は,世界が消滅したかのような心傷を伴うものである。  他方で,愛とは,自らをそのサブジェクトとし

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          真作と贋作

           椅子の偽物はありえない,というテーゼを耳にした。私は偽物を実はその本質を網羅しないのに,恰もそれを備えるかのように錯覚せしむるものであると定義しているから,素朴にはこのテーゼに「少なくともアナモフィックアートにおける椅子は椅子の偽物と評してよかろう」と反論したくなる。が,このテーゼの主旨に(誤解を恐れずに言えば!)デカルト的な含蓄を仄見ることはできるし,本項ではこの含蓄について取り上げたい。  即ち,それを偽造するのにあたって必然にそれの本質を備えてしまうような──偽物で

          真作と贋作

          VTuber の存在様態

           バーチャル YouTuber(ここでは中の人の謂。以下 V と略記する)の愉しみ方は,〝そのアバター(以下 A と略記する)を演ずる V〟という様態(以下 F と略記する)を敢えて無視する態度こそがあたかも倫理に見える他方で,あえて F を揶揄的に暗示するようなユーモアも,V やそのリスナー達に受け入れられているように見える。  いわゆる中の人ネタ一般への非難を見なくなって久しいが,中の人が起こしたスキャンダルへの非難は昨今にも散見される。つまり,先の「あたかも倫理に見え

          VTuber の存在様態

          オデツンを構造化する

           本項では,さっこん話題にあがる回転寿司屋で備品を舐めまわしたりコンビニのおでんを触るような蛮行を仲間内で共有(武勇伝かの如く吹聴)したがる者たちをレーサーと総称する。さらに,かような蛮行をオデツンと呼ぶことにする。  さて,次のツイートは,レーサーの心理や文化をかなりの精度で分析しているとおもう。  本項ではこの分析を採用することにして,行為 X が文化 Y に対してオデツンになる必要十分条件を,次の3つだと考えたい。 X が,その行為者が参加するレースにおいて為され

          オデツンを構造化する

          ロマンスに利用される性交

           情事において,いわゆる本番行為(以下,本番と略記)そのものよりも本番に至るまでの一連の文脈と事後の諸言及の方がえっちだという事情は認められるが,然るにこの「えっち」さは本番なくしてありえなかったはずである。  この本番という語を,それ自体には威力 X がないのに、それなくして X を在らしめられぬような存在にメタフォライズしてもよかろう。  本番を,単なる物理的な刺激──ピストン運動として捉えるのではなく,もっと一つのシニフィアンとして注視することでこの威力が見えてくる

          ロマンスに利用される性交

          Gonoï VS 暇空茜

           友人からの依頼があったため,Gonoï 氏と暇空氏の間で生じた諍いについての分析を掲載しておこうとおもう。  さて,文脈を読めば,Gonoï 氏が「私は,山上の諸発言を現象(分析対象の謂であろう)として見ている(諸発言に分析対象を超えた身分を与えない)」旨の意見をしていることは容易に読めるはずだが,暇空氏は,恰もここで Gonoï 氏が「私は現象だ」と主張したかのように誤読を犯したようだ。*  諸言動を以て彼の心情や動機を分析する手法は,精神分析学や犯罪心理学の臨床でも

          Gonoï VS 暇空茜

          稚戯と雑話の価値

           我々の生活様式は,いっけんして有価値な仕事よりも,いわゆる児戯・稚戯や雑談・雑話などの,いっけんして無価値な行為がその多くを占めるように見える。  私はこの事態について,前者が応用的な言語活動であるのに対して後者がプリミティブな言語活動だという事情が少なからず寄与していると予感するのである。  ところで,「雑話」は,例えば 甲:暑いねえ 乙:そうだねえ という会話がそうである。  ここでは,乙に『私(甲)は暑がっている』という情報を伝達する意図が甲にはない(言わず

          稚戯と雑話の価値

          生配信のロマンス──なぜ配信者はモテるのか

           こんにち,生配信という営みは我々の生活に急激に馴染むようになってきているとおもう。  取り急ぎ,この生配信を或る程度の頻度で発信する人を配信者と呼び,或る程度の頻度で受信する人をリスナーと呼ぶことにしよう。とうぜん,「或る程度の頻度」なので曖昧さを含んだ呼び方になるが,配信者という語もリスナーという語も実に然様にして用いられていようし,少なくとも本項の本旨を語るのにあたって特段の障害にはならない。  さて,私は約10年間に亘ってそれなりの数の配信者とリスナーを観測し,と

          生配信のロマンス──なぜ配信者はモテるのか

          「大文字の他者」という怪物との闘争

           テクスト a に記される「怪物」の正体は,かつてラカンが大文字の他者(Grand Autre)と呼んだものと重なろう。  本項では,いわゆる「言語化」が成される以前の「心の内」と呼ばれるものにも言語と呼びうる構造を認める。さらに,この「心の内」をいわゆる私的言語と同視せず,まさしく彼が利する(すなわち,使用にまつわる価値によって在らしめられる)一つの言語であると見る。  さて,そうすると,テクスト a が暗示する心情は象徴界に参画することによって「心の内」が轢死すること

          「大文字の他者」という怪物との闘争

          死にたくないが死にたい

           死にたくないが死にたいというような心情は素朴には矛盾するようにも見える。が,「死にたくない」と「死にたい」は,しばしば同根の心情から発せられる筈である。  少なくとも私がこの一見してアンビバレンスな心情を経験するときは,人生を歩み続ける勇気を失くしたときであったように思い出される。  つまり,いつかの死に向けてじわじわと暗転しゆくこの残酷な動態に耐えかねたとき,この一瞬で死ぬか,若しくは永遠に生きるかの,いずれかの静態を欲するのである。

          死にたくないが死にたい

          チンポ

           山の神に媚びたり,海の神の怒りを鎮めたり,悪霊を退かせるためには,男性器(以下,チンポ)を振り回してみるのが有効である旨の俗信は,日本列島津々浦々で散見されるものである。  ここで私が問題にしたいことは,これら俗信の真偽ではなく,かような俗信を今日(こんにち)まで口伝させてしまう程の力の源はどこにあるのかということだ。これは,殊にスピリチュアルな領野において,かくもチンポが万能化・神格化されているのは何故かという問いだと言い換えられてよい。  そもチンポは,少なくとも手

          チンポ

          科学的なフラットアーサー

           自らの経験を重んじてフラットアーサーと成った人を,もっぱら権威主義的に「地球が平面なわけねえだろ馬鹿!」と揶揄・口撃する人は,少なくとも科学に対する態度として見ればそのフラットアーサーに劣ると私は評する。  むろん,彼らが「経験を重んじて」はいても,経験の巨視的な整理にしくじることはあろう(例えば,彼らの中には地球の曲率を誤認して,「遠洋から帰ってくる船をみよ。地球が球状であればマストから見えてくる筈が,全体が漸次的に明晰になるようにして見えてくる」と主張する者がいる)。

          科学的なフラットアーサー

          相談の心得

           キャッチーのためではないが,あえて少し乱暴に言えば,相談は(被相談者がよっぽどの専門的な知識を有している分野でないかぎりは)基本的に不発する。  ほとんどの場合,相談という事態において,相談者の語りは十分ではない。意図的に自分の非になりうるところは話さないという心的傾向も否定はしないが,そも問題の本質を相談者がわかっていない場合も多くあるため,彼が誠実さを尽くして相談をしたところで,殊に人間関係的な問題については,繰り返しになるがその語りが十分である場合は極めて少なかろう

          相談の心得