ことぶき

愛知県在住の会社員です。東海地方を中心とする郷土史、特に戦前の遊廓史に興味があります。

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愛知県在住の会社員です。東海地方を中心とする郷土史、特に戦前の遊廓史に興味があります。

最近の記事

遊廓跡の石柱~「新開地」中村のはじまり

はじめに   名古屋市中村区賑町と名楽町の町境、中村遊廓跡地南西部にあたる路地の一角に小さな石柱が立っている【図1】。その高さは約73cm、約30.5cm四方(共に筆者の実測値)、上部は半円状に加工されており、南側の一面には何らかの構造物と接合されていたような痕跡がある。 そして、北側の一面のみに 「大正十年三月」 と読める文字が彫られている。 石材や工法などについては筆者に知識がないため詳細は不明である。 石柱と徳佐川について  この石柱は現地で「徳左川の橋跡」

    • 旭廓積善会供養塔とその歴史

      【近日公開予定、準備中です】

      • 中村遊廓と遊里ヶ池~史料から読み解くその姿(2)【完】

        前回公開した「中村遊廓と遊里ヶ池~史料から読み解くその姿(1)」では戦前名古屋に存在した貸座敷免許地、通称・中村遊廓と遊里ヶ池の誕生、遊廓の開設に併せ遊里ヶ池が整備され観光地になっていく過程を記した。後編となる今回の記事では遊里ヶ池に関して現地に伝わる話の検証、池の消失とその後について考察を加えていきたい。 日赤病院の建設~遊里ヶ池の消失 前記事のようにイベント会場や、観光地として市民に親しまれた遊里ヶ池は、1937年(昭和12年)に竣工・開院した日本赤十字社愛知支部名古

        • 中村遊廓と遊里ヶ池~史料から読み解くその姿(1)

          はじめに 名古屋市中村区道下町3丁目、日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院(通称・中村日赤)の敷地内にはかつて、遊里ヶ池(ゆうりがいけ)という大池が存在した。その位置は1923年(大正12年)に新設された貸座敷免許地、通称・中村遊廓の西方隣接地にあたり【図1】、同遊廓の新設に併せ誕生した人工池であった。 当時名古屋市内にこのような大池は少なく、池畔一帯は観光地、イベント会場などとして市民に親しまれた。しかし様々なエピソードが残る一方で池の誕生から消滅まで詳細につい

        遊廓跡の石柱~「新開地」中村のはじまり