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日々の中に、美しいものを取り戻す意志

NZはぐっと朝夕の冷え込みがするようになり
身も心も縮こまりがち。
日ごろのルーティンをちょっと変えて、
今朝は庭から
朝露の残る椿を二枝いただいてきました。
思えば、暮らしの空間で花をめでることさえ
失っていたなと、反省。

花器さえないことに気が付いて
大振りの椿に映えるものは?と頭をひねり
料理用の四角い耐熱皿の出番となりました。
つまりは、グラタン皿に入ったお花なわけ!
でも結構いいでしょ!

不思議なもので
一輪の花がそこにあると空間の気配も変わるものです。

ここのところ、
落ち着かない私は、とにかく断捨離の実行中。
目詰まりを起こした自分の感覚を
掃除するようなことなのでしょうか?


気持ちが外に答えを求めようとするときは
焦って、同じループの思考を繰り返していました。
家の中はと言えば、
もう少し気持ちよく入居したはずの空間に
何一つ、自分が見て心地よいと思う場所も
物もないという感覚のイライラが募っていました。


もともとかたずけは得意ではないのだけど
それでも読み返さないだろう本を処分し、
引き出しの中をかたずけ、
着ない服はリサイクルに出す。

まだまだ、すっきりには遠いけど
それでも手放した分だけ
少し呼吸が深くなり、
自分の好き小さなものや
いいなと思う感覚を思い出したきがします。

そして今朝
『そういえば、日本にいるときは、庭の片隅にある花を
手元にある雑器に水を張り、生けていたじゃない!』と思い出しました。

朝、何か生けられる花でもないか?と出た庭からは
見上げると、こんなにきれいな空が広がっていました。


今の生活は、無意識でいると
『これが世界だ』として私たちに流れ込む情報は
心をざわつかせる不穏なものに満ちています。


今という時代、
日々の暮らしに、敢えて自分の美しいと思うものを
大切に思うものを取り入れようとする意志が
とても大事だなと思うのです。


小さい携帯という箱や
PC画面の向こうにWifiごしにとめどなく押し寄せる『情報』という
誰かの加工した体験をみて、
飲み込んだつもりになるのではなくてね。



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