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【流通している記号と個体とのズレ】 0ポイントと出会う旅

世の中に流通している「記号」があることで、わたしも「記号」を使うことができた、だから記号の流通する世界、社会で生きてこられた。

一方、記号未満である「ざわり」は、記号でないからこそ他者と共有不可能で、
個人という個体単体の中に留まる。

「記号」と「ざわり」の両方があって、その両方を内包している個体である個人が世の中でどうあったか。

・「はい」っと、社会で(例えば仕事場で)記号を手渡される
・受け取ろうとする
・自分という個体の中では「ざわり」がスタンばっていて、記号を受け取ったものの、一致するところを探してウロウロする
・これかなー、あれかなー、とパズルをしているように組み合わせたり整合性取ろうとしたり
・記号を優先していることになっており、イコール自分の中の「ざわり」が優先されていない
・ざわり>記号
・皮膚で感じる>脳での処理
・感覚>意識
・のような、偏りがわたしという個体の特徴だとするなら
・自分の生まれる前から存在する「記号、言葉」に自分という個体を当てはめていく作業は、ズレが大きければその分パズルをはめるコストは高いかもしれない


※これはわたしの中の仮説でありエビデンスはわたしの経験・体感です。

※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。

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