見出し画像

胸に雨が降る日。

身体はいたって健康だけれど、心の中がぼんやり不調な日がある。
今週のとある日はまさにそれで、これという理由とはなしに胸の中が少し重たい。

信頼して自分の本音を曝け出していた人から「もう少し気を遣ってほしい」と諭されたこと。
家の中に大の苦手としている虫が入ってきて、気が気じゃなかったこと。
娘の受験が近づいてきて、本人よりも親の方が緊張していること。
義父の他界後の費用を義弟と折半しないといけないのに、レシートや領収書の整頓がまだできていないこと。
そんな、少しずつの積み重ねが心臓と胃の間くらいに、じっと鎮座している。

郵便局へ息子の学費の引き落とし手続きのため向かえば、割り込んできた老人に窓口を奪われる。
すっきりしない。とにかくすっきりしない。
こんな時、大きくても小さくても嫌な出来事を数珠繋ぎにして捉えてしまいがちだ。

ああだめだ。
カヌレ食べよう。
今日は大好きなCENTREがカヌレ焼きたてを提供するとインスタで見た。
他の用事は一旦横に置いておいて、駆け込み寺のようにCENTREの扉をくぐる。

シンプルにカヌレと紅茶を注文して、娘へお土産用のカヌレも追加する。
彼女もこの店が好きなのに、オシャレしないと恥ずかしくて行けないと何度か誘いを蹴っている。まだまだ子どもだからそんなの気にしなくていいのに、とは親目線で思うけれど、本人からしたら大問題なんだろうと受け入れる。

かりかり、もちもち、かりかり、もちもち。
いつもフォークでかっこよく切れないので、もう開き直って真上から垂直にフォークを突き立てていただく。
いつも美味しいカヌレが、焼きたての日はかりかりもちもちが増すので食感が楽しい。
読みかけの本と、新しく手に取った本をさーっと読み切って店を出た。

帰りの地下鉄で、義母に似た人とすれ違う。
義母なわけではないことは当然わかっている。大好きな義母はとうに骨になった。もう3年以上前のことだ。
義父の一周忌に合わせて義母もようやく納骨した。生々しい納骨の記憶が過ぎる。骨壷のまま納めるのかと思い込んでいたが、まさかの骨をお墓に直接入れるスタイルだった。
骨壷からがしゃ、がしゃと音を立ててお墓の中に入れられる骨。白いそれは、混ざり混ざって私の祖父のものなのか、義母のなのか、義父なのかもうすっかりわからなくなってしまった。
雨が降ったり止んだりの寒空の下、一瞬やんだ雨は義母が止めてくれたのかもしれない。もちろん、たまたまなのはわかっている。これは受け取り方の問題だ。

帰りに寄ったスーパーは、アハ体験のごとく有人レジからセルフレジへと変貌を遂げた。
じゃがいもや玉ねぎの数を打ち間違えて、うっかり万引きになったりしないんだろうか。
そんなことを考える自分が浅ましく思えて、また少し気分が萎える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?