立場が変わると突然色々涌いて寄ってくる

市長選挙の後、両陣営ともお礼の連絡やら訪問やらまだ忙しそうですね。
その中でもまあ大変忙しそうなのが

「自分は新市長とこんなに親しいんだ」アピールを突然始める方々。
昨年の県知事選、私は塩田知事が来島してた時に、名瀬地区のとある選挙演説見に行ってたんですが、まあ皆さん注目してなかった
にも関わらず、当選したら途端に分子レベルまですりおろすのではないかと思うくらいのゴマすり気味な賛辞を送るようになりました。
とはいえ県政がうまく回るなら、塩田知事は上手に利用したらいいと思います。その辺は経産省で大臣になった人がどんな感じになるかなど見てきたと思いますし。

問題は、今回の奄美市長選挙。
新市長は10年かけてやっと、市長としてチャレンジする機会を得ることが出来たのでホッとしてらっしゃると思うのですが
市長だけじゃなく周囲の家族・親族の方へに対する態度まで変わるのが多いのが、シマの悪いところ。
で、ちょっとでも愛想悪いと、そこから「お高く止まりやがって」的な妬み嫉みするので、本人以上に周囲は「人にどう思われるか」を過度に気にするようになりがちです。知らん人でも近寄ってきて馴れ馴れしく挨拶されると「親の知り合いかな…」と会釈したら挙動不審の変な人だったりすることもあります(経験談)
ただでさえ奄美は人の目(世間体)をやたら気にする土地柄なのですが、輪をかけて気にするようになる。
安田新市長は自分で選択した道ですが、お子さんは違います。
その辺は市長ご夫妻も、周囲の大人も気にかけてくれたらなと思います。
どうしても影響は出てしまうので。

それと、副市長などの人事に関して。
これは本当に「これまでお世話になってるので」的な考えは絶対にやめて頂きたい。市長は個人的にお世話になったとしても、奄美市民はその方にはお世話になっていないのですから。市長と一丸となって、奄美市民の公益性を高める事が出来る人であるかどうか、を重視してご検討いただきたいところです。

選挙前に、私は保徳戦争に関する論文のリンクをご紹介しました。
この投稿を読まれている方、もう一度読んでみてください。
特にこの下りです。

公共事業の配分にもっとも影響力を持っているのが地元選出の国会議員であり,市町村 では発注業者の指名権を有する市町村長であり,それをサポートするのが議員である。1984(昭和59)年 8 月徳田虎雄に推されて新たに当選した高岡善吉徳之島町長はその就任記者会見で「選挙で私を支持してくれた業者は前町政のもとで 2 年半余りほされてきており,今後 2 年半はこうした業者を優遇する」とあからさまに語り,大なる物議を醸したが,これは自派の業者の声を代弁したものであり,島の選挙とその結果の実態を如実に表しているとも言える。 選挙で選ばれた首長は,本来は法手続きに則って公平公正な事業発注が求められるが,実情はそのようには運ばない。極論すれば,勝ち組は総取りであり,負け組は一つの事業の受注に もありつけないこともあり得る。

戦後奄美政治の対立構図 : 保徳戦争前夜の動向を中心に

寿 洋一郎

能力を見ないで付き合いで選ぶ報復人事とお礼人事は、その後ずぅっと自治体の行政に禍根を残します。私たちはそれを昭和の終わりから平成の途中くらいまで群島内の首長選挙の度にずっと見てきて、90年代から2000年代、本来であれば今頃多くの子供を島で育てていたであろう昭和40年代50年代生まれは、そんな島の政治や大人の在り方にうんざりして島を離れて行きました。

当時と異なり、今や超高齢化・少子化待ったなしの状態の奄美市でまたしても同じようなことをやったら、奄美市の税収と経済活動を担うはずの世代はどれだけ減るでしょうか。

「お世話になったから」「いい人だから」ではなく、真剣に「奄美市のためになる人材かどうか」で、今後の奄美市政に携わる人を選択して欲しいと、切に願っています。

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