自己理解ってなに

12/21 みんな特別で、みんな違う。

誰1人として、同じ人はいない。

そう思います。


でも、昔は自分のことを平凡でつまらない奴だと思ってました。

学校の成績も真ん中くらい。
走ってみれば、40人中18位。
背丈も並べば、いつも中間に。

なにをしても、真ん中を維持していて、平均的な結果。
まるで主人公になれない、モブキャラのようだなあと思いました。


そんなことを考えながらの学生生活。

思春期だったこともあったのか、人目をとても気にしていて、
とにかく嫌われたくない。って、心のどこか隅で意識してました。

中学2年の時に、
日常が崩れることがあって、毎日だれかの悪口を聞くたび、
自分のことを言ってるんじゃないかと考えてビクビクしてました。

過度な被害妄想。

それがとてもしんどかったなぁって。
まあ、勝手に思い込んでただけなんですけどね。


受験の時も、なんで試験勉強をしなきゃいけないんだろうと考え始めて、

そもそも受験勉強とは?
なぜみんな受験勉強を頑張れるんだ?
ダメなやつだから出来ないのか?
なんでおれは必死になれないんだ?
大学に行きたいのか?
でも、行かないならどうしたらいいんだ?
どうなりたいんだ、どう行きたいんだ?
なんでこんな世の中なんだ?

ぐだくだと、いろいろ考えましたね。
いやーー、考えすぎかよ笑

人生の岐路だからみんな悩むとは思うのですけど、
ここまで受験に対して悩む人はそんなにいないと思います。
たぶん。


ぼくは幼少のころから、

死んだらどうなるんだろう
自分が最強だったらなにをしよう
この人は今こんなことを考えてる

って、いつも答えのないことや、妄想、相手の感情など。
楽しいこともしんどいことも、常に考えながら生きてきました。

でも、これって普通じゃないんだよなって。

それは考えすぎじゃない?とかすごい考えてるねって言われたりしました。
ぼく個人からしたら、当たり前で息を吸うかのように考えてるし、
むしろ全然考えてないじゃんってツッコミたくなることたくさんあります。

でもそう思ってしまうのは、
ぼくが考えることが得意な人間だからなんですよね。

生きることは考えることと等しい
と思う人種だから。


自分の能力が平凡なことにモヤモヤしていたぼくは、
思考という能力からみると異常なひとだったんです。

どんなひとにもどこか異常な部分はあります。
異常はあんまり嬉しくないか、、特別ですね。
特別なものをひとりひとり必ず持ってます。

そして、その特別さはあなただけのものなんですよね。


みんな特別で、みんな違う。

これを明確に意識できてる人ってどれくらいいるんだろうなって。

だいたいの争いの原因は、理解不足だと思っていて、
どこが違っていて、ズレが生じているかを認識できてないことが問題。

なぜこの人は考えずにやるんだろうとイライラした時に、
「その人は行動することが得意で、やってみなきゃ分からないという価値観を持ってるひと」だと、
違いが分かっていれば、ズレの埋め方はあると思うのです。


世の中が平和に循環するためには、

全員を当てはめて、ひとつにしていくよりも、
違うことを認めて、歯車を組み合わせる方がいいんじゃないかと思うんです。

当てはめていくことって、人間らしさを奪うし、
違いを認めて活かすほうがよっぽど人間らしい。

だって、当てはめていくと多様性がどんどん死んでいって、
こんなに人が生まれる意味ないじゃんって思うんですよね。

みんな特別で、みんな違う。

みんな特別なデコボコのピースで、それを掛け合わせていくから、
可能性やおもしろさがあって、

みんなが違いを認め合えるからこそ、
世界がより生きやすくあたたかいものになっていくんじゃないかと思います。


違うことを楽しんで、愛しながら生きようぜ。ってね。
それでは〜。

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