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「聴く」「聴かれる」は体感してもらいたい

少し前に、
「聴くということが苦手なので、コツを教えてください」
「傾聴が苦手なので、教えてください」
という言葉を立て続けにいただいた。

それを聞いて
「いやー、教えられることはないな~」と思い、その奥にある気持ちが
「私は誰かに”教える”ということは、ちょっと苦手だと感じているんだな」ということだとわかった。

「傾聴とは」ということだったら、世の中に学べるところはたくさんあるし、本もたくさん出ている。
私も実際にそういったところで学んだり、本もいろいろ読んだ。
「なるほどな」ということもたくさんあったし、線を引いた本もあった。

だが私は、”教える”ことは苦手なのだ。
系統立てて伝えられないし、教えている最中に「でもいろんな考え方がありますからね」なんて思い始めてしまう。

私自身が思っている「聴く」について考えてみても、誰かに「こうしたらいいよ」と伝えたいというよりは、「これが私が考えたことです。皆さんはどんなふうに考えましたか?」という気持ちの方が大きいかもしれない。

そして何より、そもそも「聴く」というのはその人のあり方による、と思っている部分が大きい。


なので私は
「私があなたの話を「聴く」から、「聴かれる」「話す」ということを、ぜひ体感してください」
としか言えない。

そこでその人が体感したことの中から「聴く」を感じ取って、その後私と感じたことや考えたことを話せたらいいなと思っている。
そこで私自身が大切にしている想いなどがあれば話すし、逆にその人の話も聴いてみたい。

体験して、体感して
「あぁ、これが「聴く」ってことなんだ」と味わってみてほしいなと思うのだ。

もちろん聴き方は人それぞれだし、感じ方も違うので、正解はこれだ!というのはない。

ただ「聴く」人がいて、「話す」ことを実際に体感してもらう場は提供したいなと思うのだ。


と言いつつ、憧れている一言に
「君にはもう教えることはなにもない」がある(笑)。

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