場面緘黙克服への階段

場面緘黙症で塾等で分からない問題を分かると答えてしまう子は多いだろう。
私もその一人だ。
よく

見栄を張っているんじゃないの?

と聞かれることがあるが、その様な理由で聞かないのではない。

聞けないのだ。

分からないという事をどんなふうに伝えたら良いのかが分からず(私の場合)聞けずに分かっている。という回答をしやすい。
また、こんな事を聞いていいのかな?と思い躊躇してしまう。

何度も何度も質問しようと挑戦してきたが、その度に緘動(動かなくなってしまう症状)を引き起こし、挫折していた。

だから、その事を知っていた今まで担当していた先生達は全ての問題を解説していた。
そのため、質問ができない。という問題においては困ったことはなかった。

しかし、私は先日質問ができない。ということで初めて壁にぶち当たった。

今までの担当の先生の引き継ぎで担当する先生の授業は私から指等で指さないと解説がないということに気がついた。
最初の授業の時は、今まで担当していた先生が後ろで見ていて、引き継ぐ予定の先生に声を掛けて解説させる。
というシステムだったので、自ら質問するということはなかった。
だが、二回目の授業からは先生がおらず、私から声を掛けなければ解説がなかった。
分からなくても分かっているとしか言いようがない状態が数回続いていた。
テキストの解説を見てもいまいちピンとこないものが次第に多くなっていったので、

これではいけない!

そう思った。

私にとって質問をすることは小学生の頃から全くできたことがない。
ずっと、分かったふりをしてきていた。
でも私は今年で中学三年になる。
何か一歩を踏み出さなければいけないと思ったらやるしか方法が無かった。

先生にわからない問題はある?と聞かれて頷いたはいいものの、質問したい箇所を指で指すことが中々出来なかった。

先生の視線が怖くて久々に塾で緘動が出た。
5分くらいガッチガチに固まってしまったので、

あぁ私にはやっぱりハードルが高かったなぁ

と思った時だった。
突然ふっと手の力が抜けていった。
自分でも考えられないことだった。
固まってしまったらそこから抜け出すのはかなり難しい。
でも、神様が私に

あなたは絶対に質問できる。だから諦めてはいけない。

そう言ってくれた様な気がした。
だから私は人生で初めて質問することができた。
人に聞くという大きな壁をぶち破ることができたのはとても嬉しかった。
場面緘黙症とは長い付き合いになるかもしれないが、これからも自分なりにやれる事を見つけて生活していこうこと思う。

克服への階段を登るきっかけを作ってくれた新しい先生には感謝しかないと感じることができた出来事だった。







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