見出し画像

言葉を見直す、3日目。

ただの、用件を伝える
「日本語」を使ってきた。

両親が「向き合って話さない」のを
知ったのは、20代前半で。


ありがちな現代、
かもしれないけど。


母は家事をしながら
子供の様子を見ることなく


音の記号だけを、聞いていた。
ただの「用件」として、のみ。


会社員4年目に
なっていたある日。


職場の先輩の呼びかけに
作業しながら向き合わずに返事をして、


『それは失礼でしょ?』と
指摘されたことで、気がつけた。


今も忘れない
大切なご指摘と、恥ずかしさの体験。


「聞こえてる」から
それでいいでしょ?という


コミュニケーション力の不足。


その後、手話を学ぶ機会があったし
接客業も経験したことで


「人の目を見て、伝える」
「相手の話そうとすることを、聴く」を

ようやく、体得できたけど。


(^^)その一方で
エンパス気質もあって。


『この人の眼は、みちゃだめだった・・・。』とか
『この人は、きっと見られるのは嫌なんだ。』とか。


相手の様子によっても
ケースバイケース、で。


向き合うことに対して
自分を整えておく、必要も感じた30代。


忙しさの中に
向き合えなかった団塊世代と


コミュニケーションを
体験できなかった団塊ジュニア。


その子供たちの中には
今も、コミュニケーションが


『わからない』という
若手がいても、仕方がない。


経験して磨いていくしかない、
スキルでも、あるけど。


『日本語は知ってる』つもりの


言葉のニュアンスを
「当人から」得ているかどうかで、


キャッチボールを
繰り返さないままに


決めつけたり、誤解したり
「違う」と訂正しなかったり・・・。


「社会人として」は、言葉遣いに
不便をしなくても。


「個人の表現」として
人と人との繋がりとして。


どれだけの人が
自分をきちんと表現して


相手の言葉を
受け取っているだろうか?と思うと。


『ここから、見直していかなきゃ』


日本人は、言葉まで失うかもしれないと
大袈裟にも考えることがある。

(言葉じゃないことも、充分にあるとは、言えるけど。)


基本の、日本語。


今は情報たちが届いてきて

「本来は、こういう言葉だった」
「古代の文字や、言葉の意味合い」
「歴史の背景」

「声の出し方」
「呼吸の仕方」
「人の本来の機能」


そんなことを、
あれこれ見ていると。


日本人、
自己嫌悪している場合じゃない。


感覚を、取り戻さなきゃ
世の中を良くしていけない。


世界は言葉で、できていると思う。


この1年のほとんどを
ゆっくり過ごしたことで


本質を、見直すことができたとき。


世間や学校教育だけのせいにしないで
個々が自ら学びを進めて


思い出さなきゃいけないことが
この1.2年には


多くあるんじゃないかなと、感じている。


普段の生活を
繰り返していく中に


『虫の知らせ』を
ちゃんと聞き届けることはできるか?


言葉がないところにも
「察する」ことはできるか?


その、心のゆとりがあるかどうか?


きちんとした御家柄のように
躾も、されてこなかった。


だから、いつも
自信の無い心境でもあったけど


おかげさまで野生はあって
これからでも、生き延びていく


感性は、充分に残っている。


音の響きに、
現実が成り立つ日本。


一つの文字に
深い意味合いがあること、


名前が持つエネルギーについて
ひとつひとつを丁寧に、


きちんと捉えていきたいものだ。


大丈夫。まだ、間に合う❤️








































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?