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〈第二回〉犬の看板探訪記|東京犬・23区編<その1>|太田靖久

 二回目の探訪は東京犬・23区編<その1>である。これは<その3>までのシリーズを予定していて、23区をすべて回るのが目的だ。一回の探訪で7~8区を回り、それぞれの「犬の看板」を無事見つけられれば、三回でコンプリートできる計算になる。ただし各区によって設置枚数にばらつきがあるはずで、そう単純ではないかもしれない。

 以前からの活動により、すでに23区の「犬の看板」を写真に収めていたため、どこの区は見つけやすい/見つけにくいという情報は頭にある。港区が最も苦戦した記憶があり、そこを攻略するタイミングがポイントになると踏んでいる。適切なルートを組み立てるなど、事前準備も肝要だ。

探訪のしおり

 今回は「東京メトロ24時間券」(※東京地下鉄が発売する一日乗車券)を活用することにした。地下鉄を乗り継いで区から区へ移動したり、駅間を歩く中で看板を効率よく探すことができると考えたからだ。一回目と同様、小鳥書房の編集Sくんとあらかじめ打ち合わせをして、当日の行動計画の作成を依頼した。

 彼が大学時代に山岳サークルに所属していたことを僕は知っていた。僕自身は本格的な山登りを経験したことはないものの、登山に挑む人々は綿密な計画を立てた経験があるのではないかと想像する。

 旅に出る前に旅のしおりを準備するのと同様、「犬の看板」探訪の予測ルートを作成するのは楽しいものである。ただこれはあくまで目安であって、その都度変更したり、新しいアイデアを足したりして、現場の状況に即した対応をとる必要も出てくるはずだ。

 一回目の志木駅編の探訪では、ひとつの市で十枚を超える種類を発見したりもしたが、今回はなるべく多くの区を回ることも大きな目的の一つである。そのため、一枚目を見つけたあとは同区で二枚目、三枚目と探すのではなく、なるべく次の区に移動しようと決めた。

 およそ45分から1時間くらいで1区を回れれば日没までに8区を踏破できるだろう。もちろんこれも大まかな計算であり、電車を待ったり、徒歩での移動時間や休憩も必要になるから、その時々の判断が重要になる。

 券売機で「東京メトロ24時間券」を購入して改札を抜ける。下り方面の階段を降り、電車に乗り込む。30分ほどで葛西駅に到着。その間は地図を見ながら意見を交してプランを再度練り直した。

葛西駅から江戸川区へ

 Sくんが描いた流れでは、葛西駅からとなりの西葛西駅に歩く間で看板を発見するという目算だった。電車の高架下に設置されているケースは少ないから、軽く遠回りしつつ、西葛西駅方面に向かって歩けば良い。その途中に公園があれば見つかる確率が高まるため、まずは地図アプリを立ち上げて周辺情報を把握することにした。北側に小さい公園がいくつか存在するのを確認して駅を出る。その直後に幸先よく一枚目があった。

 この看板は数年前にも写真に収めたことがある。このイラストについて誰かに説明する時、「ぎょうざの満洲を知っていますか?」と僕は必ず尋ねる。「ぎょうざの満洲」は主に埼玉県を中心に展開している中華料理のチェーン店だ。そのイメージキャラクターであるランちゃんとこのイラストの子がそっくりなのだ。もしご存じない方はすぐに検索してほしい。「3割うまい!!」のコピーと共に、笑顔を浮かべて指を三本立てているイラストに辿り着くはずだ。

 僕の中では、この江戸川区の「犬の看板」は、そのランちゃんの休日をとらえたワンシーンである。髪型や口の開け方もとても似ている。普段は制服をまとって店頭に立つランちゃんが、私服姿で愛犬と一緒に散歩しているという設定だ。丸みのある【DOGモ】はチャウチャウだろう。中国由来の犬種だからその辺りの辻褄も合う。

 二枚目の看板は公園の樹に巻かれていた。消えている文字もあるが、犬と飼い主はくっきり残っている。伊達巻のような犬のしっぽがとても良い。しかしこの美しい風景も時間経過とともにやがて白い夢の中に溶けていく運命なのだ。

 三枚目は真っ白い看板。全ての文字もイラストも消えてしまっている。表面の凹凸により、かろうじて「犬の看板」であるとわかる。こうして並べるだけで、命の尊さや日常のはかなさを感じられるのではないだろうか。

門前仲町駅から江東区へ

 少しセンチメンタルな気分になりつつ、西葛西駅に到着した。再び東西線に乗り、門前仲町駅で降りる。当初はここから大江戸線で清澄白河駅に向かう手はずだったが、駅間の移動を徒歩にすれば江東区の看板を見つけられるかもしれないと考え、プランを変更した。

 仙台堀川の周辺でまずは一枚目を発見。徒歩にしたことが功を奏した。

 「犬の看板」には、擬人化された犬から、野性味のある犬らしい犬までさまざまな種類が登場する。その中には「てれる」という高度な感情を持つこんな【DOGモ】もいるのだ。

 その近くに二枚目もあった。

 リードを装着していない状態を「ノーリード」と端的に表現しているのが良い。このデザインの看板は都内にたくさんあるため「見たことがある」とか「うちの近所にもある」といった声を頻繁に耳にするのだが、それが本当に同じものかどうか、もう一度よく確認していただきたい。

 ほかの東京都下の地域で出会った犬たちをいくつか並べてみるとその微妙な差異がよくわかるはずだ。ちなみに、この犬たちを【型抜き系】とする。

 その犬は白ではありませんでしたか?(福生市の看板)、その犬に口はありましたか?(武蔵村山市の看板)、その犬は振り返っていませんでしたか?(西東京市の看板)

 このように間違い探しをする感覚で探訪を楽しむこともできる。

水天宮前駅から中央区、千代田区、台東区、文京区へ

 清澄白河駅に到着。今度は半蔵門線でひと駅だけ乗り、水天宮前駅で下車。ここは中央区になる。ここから千代田区、台東区、文京区と、なるべく無駄なく移動して、次々に犬を発見していきたいところだ。歩みが自然と速くなる。この時点ですでに昼12時を少し過ぎていた。

 中央区はオフィス街であり、リアルな犬の気配すらない。犬のいない場所に「犬の看板」は必要ないはずだ。ここでは見つけられないかもしれないと不安がよぎる中、比較的あっさりと一枚目が見つかった。

 足を浮かせて看板にしがみつく様がかわいい。そのままの勢いで千代田区に向かう。

 遠目に公園を発見した。看板らしきものも確認できたが、こちらからは裏側しか見えず、それが何の看板なのかはわからない。小走りで近づく。英語の文言が添えられている珍しいタイプだ。「犬の看板」には地域性も反映されるのだ。

 すぐに次の区を目指す。馬喰町を抜けて神田川を渡れば台東区だ。公園の入口に見かけたことのないタイプの看板を見つけた。トラックの荷台シートなどにも使われるポリエステル帆布という素材だろうか。「公園課」と記載があり、犬の姿はないが、長々と続く足跡のイラストが目を惹く。その足跡が二枚目の看板にも侵食している。

 犬の後ろ足が踏んづけられているようにも見える。その様子から察するに、この足跡は犬でなく、別の生物かもしれない。

 江東区の「ノーリード」犬と形状は同じだが、目と口に変化があり、マナー喚起の文言も全く異なっている点も注目だ。

 予想以上に順調だった。スケジュールに余裕が出てきたこともあり、休憩を挟むことにした。蔵前橋通りにある蕎麦屋「みのがさ」で昼食。次の文京区は23区の中では看板の種類と数が多い地域(【犬の看板天国】)だと知っていたため、だいぶ気が楽になっていた。

 あまり会話もないまま黙々と歩き、四方に目を光らせる。探訪に夢中になるあまりストイックすぎたかもしれないが、どれだけ経験を積んでもメソッド化できない部分が大きいことの証左でもある。常に新鮮な体験であるため適度な緊張感があり、ありふれた風景にも瑞々しさを見出すことができるのだ。

 末広町駅をスルーして文京区に入る。一枚目と二枚目の看板はやけに管理組織の名前が多いタイプだ。

 「文京保健所 富坂警察署 大塚警察署 本富士警察署 駒込警察署」の合計五つである。映画でいう「製作委員会」みたいな雰囲気だろうか。関係者がやたらにいてエンドロールが長いイメージだ。

 三枚目の犬猫の遠くを見つめる姿勢が良い。人間よりもよほど未来に目を向けているのかもしれない。

 四枚目は建物の下部のかなり見えにくい位置にあり、散歩中の犬しか気づかないのではないかと思った。「犬の看板」を熱心に探していなければ絶対に見つけられなかっただろう。

 五枚目は公園の中で発見。「だれがきれいにするの?」のポップでレトロな書体が良い。フォントや絵柄に時代が反映されており、流行り廃りが感じられるのもおもしろい。

 六枚目の犬の凛々しいたたずまいが好きだ。白目の多い目も愛らしい。

 文京区は当初の予想通り、たくさんの看板があった。湯島駅から千代田線に乗り、綾瀬駅に向かった。綾瀬駅は葛飾区と足立区の区境にほぼ位置している。

綾瀬駅から葛飾区、足立区へ

 葛飾区からまずは紹介したい。一枚目はどこかで見た記憶がないだろうか。全体のデザインは異なるが、【DOGモ】は中央区と同じである。

 ただしほかにも違いがある。右下に猫がいる。犬にばかり意識が向いているため、猫にはあまり反応しないのだが、このきょとん顔の猫は好きだ。

 二枚目はほのぼのとしたイラストでつい見過ごしてしまいそうになるが、明らかにリードが変だ。手の向こう側まで続いているし、スマホやタブレットの充電ケーブルにも見える。犬型ロボットの可能性が高い。

 続いて三枚目、四枚目、五枚目を一緒に並べてみる。

 三枚目と四枚目の違いに気づいたのはSくんである。葛飾区の花である花しょうぶのマークの有無とフォントなどが異なっている。険しい表情でいきんでいる犬に目がいきがちで、地元の人ですらこの二枚が別物であることを知らないのではないか。

 五枚目はいきっていた犬が排泄を終えてすっきりしたようにも見えるが、頭にリボンが付いているため、違う犬なのかもしれない。カタカナの「カンサツ」は「鑑札」のことだろう。登録済の証明だ。犬のへそがやけに目立つ。

 足立区に徒歩移動。一枚目の看板が電信柱にあった。

 フンに手足が生えていて、自ら歩いている。犬の足も角ばっていてロボットのようだ。葛飾区の犬型ロボットの仲間かもしれない。

 二枚目は【公募系】だろうか。犬の体躯に比してフンが大きすぎではないだろうか。犬のフンだと決めつけられて犬が泣いているのかもしれない。そう考えるとそれは犬のフンではない可能性もありそうだ。

 三枚目はなにもかも消えかかっていて全体が見えづらいが、丸まっている犬の寝姿がひたすらチャーミング。

 四枚目はドラマチックなシチュエーションだ。つながれた犬と自由な犬が逢引きしている構図であり、その看板の手前にある緑色の金網フェンスがそのドラマ性をより高めている。現実の風景とイラストが見事にマッチした好例だろう。

 この時点で8区を回り終え、とりあえずの目標は達成した。ただまだ時間はある。駅前の「カフェ リサータ」で休憩を入れたあと、千代田線で綾瀬駅から西日暮里駅に向かった。

西日暮里駅から荒川区へ

 西日暮里駅は荒川区だ。駅の西側に出て、開成中学・高校のある高台に登る。一枚目と二枚目はすぐ近くにあった。

 ぶちの模様がよく似ている。水を飲んでいる子犬を見守っているようであり、二匹は親子の可能性もある。

 三枚目はすでに何度も登場しているが、今回は黄色や白でなく、青の【型抜き系】である。カラーバリエーションが豊富だ。今後ほかの色も出てくる可能性がありそうだ。

 四枚目は今まで出てきた看板と酷似しているが、微妙に異なっている。それぞれ比べてその違いを見つけてほしい。

 そして最後の五枚目はすでになじみとなったあの【DOGモ】の登場だ

 笑顔はさわやかだが、野心家かもしれない。このまま23区の大半を制覇しかねない勢いを感じさせる。この犬が東京中の「犬の看板」を席巻するアイドル犬であることにいったい誰か気づいているのだろうか。こうなると名前を付ける必要がある。【浮き足犬】としよう。

 東京犬・23区編<その1>は合計9区を回ったため、ここで終了とするが、この【浮き足犬】がこれから先の残り14区でも登場することになるのか、僕自身非常に楽しみである。

著者:太田靖久(おおた・やすひさ)
小説家。2010年「ののの」で第42回新潮新人賞受賞。電子書籍『サマートリップ 他二編』(集英社)、著書『ののの』(書肆汽水域)、『犬たちの状態』(金川晋吾との共著/フィルムアート社)、『ふたりのアフタースクール』(友田とんとの共著/双子のライオン堂出版部)など。そのほか、文芸ZINE『ODD ZINE』の編集、様々な書店でのイベントや企画展示、「ブックマート川太郎」の屋号でオリジナルグッズ等の制作や出店も行っている。無類の犬好き。


□初出用語集
【型抜き系】
看板自体が犬の形に型抜きされているもの。
【公募系】
行政が公募して採用したと思しき看板。
【浮き足犬】
看板に足を浮かせてしがみつくポーズが特徴のDOGモ。さわやかな笑顔だが、じつは東京中の犬の看板を席巻するアイドル犬。野心家かもしれない。

□おすすめ休憩スポット(編集S)□
【カフェ リサータ(喫茶店/綾瀬駅)】
綾瀬駅から線路沿いに徒歩数分、看板とのぼりが歓迎の雰囲気を出している「カフェ リサータ」。入店すると女性店主が元気に迎えてくれました。手焙煎の深煎り珈琲は苦味と後味の甘さのバランスがほどよく、疲れを癒してくれます。一息つき「ランちゃん」から始まった目眩くDOGモたちの活躍を思い起こしました。なんとバラエティに満ちたラインナップでしょう。たまらずこの楽しさを師匠に伝えると「ようやく君もわかってきたか」という表情。そうでした。まだまだ私の探訪は始まったばかり。今後の出会いに期待を膨らませ、再び綾瀬の町へと出発しました。


連載について
犬を愛する小説家・太田靖久さんのライフワークである「犬の看板」探訪を全12回にわたってお届けします。
公開日時は毎月30日18時、第三回は7月30日18時予定です。

🎉連載開始記念🎉 犬の看板写真展、開催決定!

素敵な本屋さん「BOOKSHOP TRAVELLER」(小田急線祖師ヶ谷大蔵駅)に、ぜひお越しください!


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