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「さりげなく映った携帯」について

ことさら出版で「美ー子ちゃんの今週の一枚」を連載している服部昇大さんの『邦キチ!映子さん』の最新回を先ほど読んで、その流れで服部さんのツイートを見ていた。

余談になるが、邦キチの更新情報はいつもTwitter経由で知る。

あるとき、投稿順のTLで服部さん本人の告知より、読者の読了ツイートで先に更新を知った回があって「これが売れるということか…!」とテンションが上がった記憶がある。

そして「売れた」感断トツNo.1は、邦キチで『ベイビーわるきゅーれ』が取り上げられたときの、阪元裕吾監督のツイートだろう。エヴァ編の盛り上がりもエグいなと思っていたけど、個人的にはそれすらも飛び越えていった。

まだ25歳の若さで、漫画原作とかじゃないオリジナルの作品をどんどんモノにする豪腕(映画監督の内実とか全然知らんけど、とんでもないことだと思うし、実のところ相当に異例なことなんじゃあ?)の持ち主の「人生で1番嬉しい出来事」ですよ。凄すぎる。

いわゆる“フックアップ”である。

『邦キチ!映子さん』って大前提として映画漫画である前にギャグ漫画なので、まず服部さんとしては面白く料理できそうな作品を探しているはず。ただ、同じくらい面白くなりそうな選択肢が複数あったら「より多くの人に観てほしい、知ってほしい」という基準が割って入ることはあると推測してます。

『ベイビーわるきゅーれ』は、まさにそんな作品だったのでは。服部さんも「俺の力で上映館数を増やしてやる!」と思ったりはしていないだろうけど、結果として作品の助けになれればという気持ちはあったんじゃないか。

あと、最終的には「邦キチ経由で観る人が増えたら嬉しい」と取り上げた全作品について思っている気はします。でも、「フックアップしたい」気持ちの有無、強弱の違いはあるというか…。伝わりますかね。

ちなみにヒップホップカルチャーにおけるフックアップとは、有名人が無名の若手をfeatして一緒に曲を発表したりする活動。100万人に知られている有名なラッパーが、1万人くらいのヘッズ=ヒップホップ好きしか知らない若手ラッパーと一緒に曲を出したら、100万人が「こんなに良いラッパーいるんだ」となるわけです。

AK-69が地元が同じ(近い?)¥ellow Bucksをfeatしたこれとか、記事の文中にもフックアップとありますね。

ヘッズなら(特に名古屋のヘッズなら)¥ellow Bucksは普通に知っているんだろうけど、日本武道館とか楽勝で埋めるAK-69のファンには、ヒップホップシーン全体にはそこまで興味がない…たとえばEXILEとか大好きな日本語ラップはそんなに聴かない人…とかも結構多いイメージがあります。なんとなく、だけど。そういうファンに紹介する意味合いもあるのが個人的なフックアップ観です。(私自身ヘッズじゃないので雑な理解かも)

私は服部さんを「友達」というのはおこがましい純「知り合い」くらいの人間だけど、初めて直接会ったのは10年以上前のことであるはず。それなりに長い付き合いではある。だから、そんなフックアップを含むヒップホップというカルチャーを愛してきた人が、フックアップされて人生メイチで喜ぶような才能をフォロワーに持つようになっているのを見て、ヒップホップ・ドリーム感がヤバかったです。尊いものを見せていただいた…。

ちなみに手前味噌ですが、ヒップホップをカルチャーではなく、単に音楽の1ジャンルとして捉えている方も結構いると思うんだけど、ヘッズの多くは「カルチャーとしてのヒップホップ」に非常に重きを置いていることが「美ー子ちゃんの今週の一枚」のこの回を読んでいただけると伝わりやすいのではないかと思います。

本題

今回はそんなことがないつもりだったのに、手を動かしていたら急に『ベイビーわるきゅーれ』のことを思い出して、本題の前に長々と書いてしまった。今日したいのは携帯の話なのに。ここからが本題です。

そうやってTwitter経由で邦キチの更新情報を知るので、セットで服部さんの他のツイートも見る可能性が高いんだけど、さっきも服部さんがRAM RIDERの映画の感想を紹介しているのを見かけて、RAMさんの『花束みたいな恋をした』の感想を早速読んだ。

RAMさんは基本的に同作を称賛しつつ、以下のような疑問を呈している。

脚本はめちゃめちゃあるあるをぶちこんでくるときの坂元裕二だったけど個人的には押井守と今村夏子、粋な夜電波が出たあたりで完全におなかいっぱいでそのあとはノイズとしか思えなかった。その年代を匂わすものってもっとファッションの微妙な変化とかさりげなく映った携帯とかで十分だと思う。

先に断っておきますが、ここから続くのは、「わかるわかる!カルチャー圏や時代を描くアイテムのチョイスや描写が微妙だよね!」という話ではありません。ただのガラケー与太話である。

今年3月、携帯電話と年代というか時代というか時の流れというか、まあとにかく非常に印象的なガラケーにまつわる経験をして、いつかどこかに細部を忘れる前にメモしておきたいと思っていたので、邦キチとRAMさんの評を続けてみたのは「今でしょ」ということなのかな、と感じたので記させていただきます。『花束みたいな恋をした』や服部さんの話は以下一切登場しません。

結婚できない男

独身だし実際できないとは思うけど、これは私のことではない。阿部寛主演の『結婚できない男』という連続ドラマがある。

完全にWikipedia情報ですが、2006年に放送された連続ドラマで、13年後というとてつもないロングスパンで2019年に『まだ結婚できない男』が制作されている。ちなみにこの続編は中身も前作の13年後という設定でリチャード・リンクレイターの映画『6才のボクが、大人になるまで。』かよ!という、日本では阿部寛でしか成立し得ないだろう凄い企画である。

というか、いま私は非常にうろたえている。コロナ禍以降、元々フワフワしていた時間感覚がさらにヤバい感じになっている印象が自分でもあったのだけれど、『まだ結婚できない男』は2020年の話だと思っていた。そんなことも忘れてしまったのかとショックだった。コロナ前だったとは…。

話はこの『まだ結婚できない男』の放送時期に遡る。午後のドラマ枠で、『まだ〜』に合わせて『結婚できない男』の再放送をしていた(2020年だと思っていた)2019年のある日、なんとなく点けていたテレビで流れていたその再放送を、仕事中に横目で見ていたら、登場人物(おそらく国仲涼子)が使っているガラケーに目を奪われた。

見覚えのありまくる機種だった。おそらく2006年時点では最新のモデルだっただろう、パリッとした優秀そうな女性が手に持つ機種の色違いが、2019年、パリッとしていなければ優秀そうでもないおっさんこと私の傍らに、現役で存在しているのだから当然である。

思い出の品展示場

「13年前…!」と衝撃を受けた私の愛機は、2年前の時点でかなりへたっていたけど、未だにどうにか現役で、東日本大震災から10年経った2021年3月の時点でも当たり前だが現役だった。そのとき私は福島にいて、同県浪江町の「思い出の品展示場」に足を運んでいた。

新聞社やニュースサイトの記事はある程度時間が経つと消えることが多いので、上の記事から施設の概要を引用します。

 東日本大震災後、福島県沿岸部の津波被災地で発見された写真や学用品などを保管する「思い出の品展示場」(同県浪江町)が、21日に閉鎖される。被災者との再会を見届けてきた職員の川口登さん(71)は、残った約1万5000点を前に、「町民同士の再会の場でもあったが、けじめをつけなければ」と複雑な胸中を語った。

 2014年の開所以降、延べ1万人を超える人が訪れ、2300点以上が持ち主に戻った。震災から10年を迎え、来場者も大幅に減少。町などが閉鎖を決めた。

この記事を見て「これは見ておかなければいけないやつだ」と確信した。

私の旅行の目的はほぼほぼ飲み食いである。また、私自身コロナ自粛をしまくっていたタイプなので、東京から来た人間と同席したくない方は多いだろうと、現地で居酒屋で飲み歩いたりするのは避けようと思い実際にそうしたんだけど、いつもの目的が果たせない旅行であっても、行かずにはいられなかった。

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「思い出の品展示場」では、記事にあるように写真アルバム、玩具、カメラ、携帯電話など、カテゴリごとに物品が分けられていた。

当たり前の話かもしれないけど、全てに人の手がかけられている。どれも洗浄を経ているはずだが、ひと目で津波にさらわれ、泥にまみれていたことがわかるものばかり。ぬいぐるみなどは特に顕著だ。名前などの情報があるものはそれを記したシールを貼るなどして、簡単に確認できるようになっていて、その途方も無さを思うだけで体の力が抜けた。第一目標は展示されている思い出の品が本人やご遺族の手に戻ることなんだから、その情報を明記することは重要で不可欠なことだけれど、福島第一原子力発電所の電気を使っていた余所者の自分が見ていいものなのか、恐れと逡巡に囚われた。

結局、ふらつき、逡巡した後にことごとくを見て撮影禁止の断り書きも見かけなかったので写真にも収めましたが…。(自分の中に留めるべきものだと感じたので写真は載せません。知人に直接見せるのは可能)

私はそこで、自分のカバンの中に入っているガラケーと、まったく同じ機種の携帯電話を見つけた。

『結婚できない男』とは違って、色まで同じだ。しかし見た目はあまりにも違う。瓦礫に擦れて泥にまみれただろう目の前のそれは、「100年使ったもの」と言われても違和感がない。最低でも15年モノらしい自分のガラケーが新しく見えるだけの落差がある。

そこで自分が何を思ったか、を具体的に記すことはできない。自分でもよくわかっていないので。とにかく複雑で難しい感情で、死ぬまで答えは出ないだろうし、出るとも思っていないし、そもそも出したいとも思っていない。

「持ち主が生きていてほしい、元気でいてほしい」と強く感じたのは覚えているけど、その気持ちはもっと小さな子どものものである可能性が高い物品を見たときのほうが強かったかもしれない。

でも、同じシチュエーションになったら、とにかく複雑な思いがすることはご想像いただけるのではないだろうか。「さりげなく映った携帯」でもそれくらいの情報量を持つことがあるのだ。映画でやるなら事前に相当な演出を仕込む必要があるだろうし、かなりのレアケースだと自分でも思いますが。

「思い出の品展示場」の物品はいまどうなっているんだろうか。モノ自体は浪江町が引き取る、みたいな記事を見た記憶があるんだけど。「東日本大震災・原子力災害伝承館」のような、震災の記憶を次代に繋ぐハコモノができることを私は悪いことだとは思いませんが(その内容には様々な意見があるだろうし、あって然るべきだと思う。反対する人も震災の記憶を次代に繋ぐことを否定するのではなく、そのハコモノが震災の記憶を次代に歪めて伝えるものと感じて受け入れられないのではないか)、本当に残し、語り継ぐべきは原発が爆発した瞬間の映像や、津波にさらわれた場所の写真ではなく、展示場にあった物品ではないかと私は感じています。

―と書くと語弊があるかもしれないし、伝承館のような展示も重要ではあるだろう。でも、そこにある資料の多くは福島県や県内の各自治体が注力せずとも全国紙やテレビ局のアーカイブにだって残り続けるだろうし、インターネット上で近しいそれに触れられるものも多いはずだ。

あそこにあった物品はそうじゃない。私は世間の平均よりは明らかにこの10年、地震や津波や原発事故に遭った東北の諸地域に意識を向け続けているほうだと僭越ながら自負している。でも、私は津波の被害にあった人の中で、自分と同じ携帯電話を使っていた人がいたことなど、10年間ただの一度も考えたことがなかった。そんなトリガーを引ける震災関連の展示が他にあるだろうか?

それが必要なものか、被災された方々に求められるものであるのかはまったく別の話だけれど、少なくとも「絶対にない」とは思う。この展示を引き継ぎ、恒久的に続ける自治体が現れはしないものだろうか。クラウンドファンディングを立ち上げてくれれば僅かながら寄付もしたい。

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