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ブルノ滞在記25 カテジナ・ルトチェンコヴァーとのやり取りと、10年来の友人との再会

わたしは時に、凄まじい行動力を発揮することがある。

昨日は荷造りをあらかた済ませたのち、ベッドに寝転んで例の『アマーリエは動けない』を読んでいた。読みながら痛みを感じたり、あるいは、主人公のアマーリエを応援したり、励ましたりと忙しかった。ネタバレになるのであまり詳しく話すことはできないが、この作品では、これまでタブー視されてきた母娘の間に生じる問題について深く掘り下げられており、かつ、辛い家庭環境に慣れているがゆえに自分を苦しめる男性をパートナーとして選んでしまう娘の心境が率直に描かれてる。そこには、ちょうどこの本を手に入れる前にnoteの記事に書いた、わたしと母との関係に相通じるものがあった。河出書房の『文藝』2022年春号の内容ともつながるところがあるので、現代の日本の読者にもかなり受容されやすいようにも感じる。

作者ルトチェンコヴァーが自分のホームページで連絡先を公開しているのは、すでに調べて知っていた。本当は、作品全体を読み通してから翻訳許可の打診をしようと思ったのだが、5分の4くらいを読み終えたところで、彼女に感想を伝えたいという気持ちが抑えきれなくなった。まさにこの本には、わたしが母や、夫に出会うまでに関係してきた恋人との間に感じてきたこと、経験してきたことが書かれていると思ったのだ。

こうして昨日の20時、わたしは大胆にもルトチェンコヴァーさんにメールを書き始めた。一応名目は日本語への翻訳許可の打診だったが、内容はほぼファンレターだった。末尾には、「29日か30日にプラハにいるので、もしひょっとしてお時間があるようならばお会いできませんか?」という不躾なお願いまで書き添えた。書き上げてから何度も何度も文面を読み直して、「ままよ……」と思いながら送信ボタンを押し、そのまま床についた。

そして今朝目を覚ましてスマートフォンを開くと、なんと、わたしがメールを送ったほぼ30分後に、ルトチェンコヴァーさんからお返事が届いていた。「わたしの作品の中に、自分に結びつくものを感じ取ってくれたのはとても嬉しい。もしかしたら日本を舞台にしているシーンの一部は日本の読者にとってあまり心地よいものではないのではないかとちょっと心配だが、日本と非常に強く結びついた作品でもあるので、日本語に翻訳してもらえるならば非常に嬉しい。今のところまだ誰からも翻訳許可依頼は届いていない」という非常にポジティヴな内容のものだった。また、30日にプラハのヴァーツラフ・ハヴェル図書館で開催される、マグネシア・リテラ(チェコのブッカー賞)ノミネート作品の朗読会にも招待してくれた。朝食をとって、電話で興奮気味に夫にこのことを伝えた。夫は「じゃあこれから新しい仕事で忙しくなるね。非常勤講師やめてよかったね」と笑っていた。

その後『アマーリエは動けない』を読了し、再びルトチェンコヴァーさんにお返事に対するお礼と作品の感想、30日の朗読会へ行く旨メールを送った。そして、タンデムパートナーに翻訳に際して協力をお願いした。あとは訳すだけだ! アイスネルの翻訳・出版が先だけれど。

あまりの展開に自分でもびっくりしている。でも、もし彼女が今回マグネシア・リテラを受賞したら、出版社経由で他の翻訳者が推薦されるかもしれない。でも、もしルトチェンコヴァーが別の翻訳者の方が有益だと思った場合は、遠慮なく切り替えてもらおうと思う。なんといってもわたしは翻訳者としてはほとんど無名なのだ、仕方がない。そう思えるくらい、ルトチェンコヴァーさんという作家とその作品が好きになった。

昼間は10年来の友人Aちゃんと、ブルノでランチをとることになっていた。彼女とは2011年の夏に、まさにブルノで開催されたサマースクールで知り合った。その翌年からのプラハ留学も期間が1年間被っていた。彼女はその後、大学に在学に在籍しながらスロヴァキアで働き、卒業後はチェコに就職した。非常に言語が堪能で、かつとても頑張り屋さんで心優しい。わたしがチェコに行くたびに機会があれば会っていたのだが、2018年にわたしが長期留学を終えて以来会っていなかった。3年半ぶりの再会だ。彼女おすすめのブルノの中華料理屋さんで昼食をとり、お互いにプレゼントを交換した。わたしが彼女に持って来たのは『翻訳文学紀行Ⅲ』と、イ・ランの『わたしが30代になった』、『話し足りなかった日』だ。彼女はわたしより2歳下の30歳。イ・ランの言葉にはきっと共感してくれるに違いないと思った。わたしが彼女からもらったのは、ベルリン土産のチョコレートだ。どうやら彼女はこの2週間、ベルリンでホームステイをしながらゲーテ・インスティトゥートというドイツ語講座に通っていたらしい。彼女の語学に対する熱心さには本当に感心させられる。

昼食後は、まず、Aちゃんを連れて「プラハ人の宮殿 Pražákův Palác」という美術館に隣接した広場で開かれているウクライナ難民支援バザーに向かい、ブルノ滞在終了に際して不要になった未使用の衛生用品をお裾分けに行った。実は先日「プラハ人の宮殿」を訪問した際、バザーのスタッフの方に、何が必要とされているのかをあらかじめ聞いていたのだ。スタッフの方は、「食品は衛生的に問題があるからあまり受け付けていない。必要なのはシャンプーや石鹸、生理用品などの衛生用品、それから何より子守りや町の案内をしてくれる人だ」と言っていた。物資的支援だけではなく、精神的なサポートがいかに重要かが感じられた。

マスクやティッシュ、ジップロックといった細々としたものを、「ほんの少しで申し訳ないんですけど、もしよかったら……」と言って差し出す。そんなわたしに対して、おそらくウクライナ人であろうと思われる受付の方々は何度も何度もお礼を言っていた。多分それは、わたしが彼らに差し出した「物資」に対してというよりは、自分たちに向けられた「助けたい、応援したいという気持ち」に対する感謝なのだと思う。難民の方々は、物質的な欠乏以上に不安に脅かされているのだということを痛感した瞬間だった。ささやかではあれ、自分のできる範囲の支援ができてよかった。一緒に来た友人も、「今度不要になった服とかを持って行こうかな」と言っていた。

その後は2人で、「10年前はこんなに綺麗じゃなかったよね、もっと暗かったよね」と言いながら市内を散歩し、ルジャーンキ公園へとむかった。公園内にある小さなカフェでビールを1杯ずつ注文し、野外のテーブルで乾杯する。う…うまい……。薬の関係でアルコールを控えていたので、実は、これが今回チェコに来てから初めて飲むビールだった。やっぱりチェコのビールはおいしい。彼女によると、最近は新しいクラフトビールがたくさんできいるらしい。もともとあんなにたくさん種類があったのに、さらに増えたのか……!

ビールを飲みながら、お互いの近況を報告しあう。仕事のこと、家族関係のこと、コロナ禍での生活のこと、両通の知り合いのこと……と話は尽きない。あっという間に17時を過ぎてしまった。そういえば、今日からヨーロッパはサマータイム。17時とはいえまだまだ外は明るい。

彼女をバス停に送っていく。「じゃあまたね!」と言って大きく手を振って別れた。まるで来週また会うみたいな別れ方だ。

きっと彼女とは、そう遠くない将来に会うことになると信じている。また今日のように、それぞれが笑ったり傷付いたり考えたりした思い出を語り合える日が来るのを、今から待ち遠しく思っている。

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