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私の人生の今は何小節目くらいだろう

今日はふとタイトルのようなことを考えた瞬間があった日だった。
そのタイトル(性格には、私ではなく、僕の、です)は、あるアーティストの曲名なのだが、私はこの曲を高校生時代によく聴いていた。その時にももちろん感銘を受けたし、色んな事を考えさせられた。今頃のこの曲のことを思い出すとは思わなかった。
本当に人はふとした時に、過去の記憶とリンクしてそれらを蘇らせる。

私の人生は決して単純明快でもないし、成功コースでもない。
紆余曲折し、多くの挫折経験もある。大いに遠回りしている方だ。

人がどう生きたかは、長さではなく、深さである、とどこかで聞いたことがあるが、深さを測る目安って何だろうかと思う。他人から見てその人の人生が深いと思っていても、本人にとっては深いと思えていない場合もあったりする。
その逆も然りで、深さがなくとも、長く生きることが最も素晴らしい、と考える人もいる。価値観は人それぞれ。

慌ただしく通勤ラッシュに向かう人たちの中で、私は過去に参加したフルマラソンのことを思い出した。42.195Kmの道のりは、まさに人生のようだ。最初は意気揚々として走り出すが、途中で自分との葛藤が始まる。ここでやめようか、やめてもいいのではないかという囁きがでてくるのである。
その選択を決めるのは他の誰でもない自分であり、他人のせいにはできない。ひたすらゴールを目指すために足を前に運ぶだけ。
そしてゴールを通過した後、我に還るのである。

少なくとも今の人生は1小節目ではないだろう。壮大な曲が一人一人の人生で奏でられていく。時にフォルテッシモがあり、時にピアニッシモがあり、メゾフォルテ、メゾピアノが生まれる。
人生はマラソンでもあり、協奏曲でもある。
自分にしかない協奏曲を刻んでいる、と思えば、人生を音色に変えられそうだ。

こうして綴りながらまた別の言葉が浮かんできた。
時々耳にする薔薇色の人生。
それって、順風満帆の人生?波乱万丈の人生?

無責任なことは言いたくないので調べてみた。

バラ色、には幸福・喜び・希望などに満ちた状態があり、
幸せや希望に満ちている状態を指す。

広辞苑第6版

でも私からすれば、薔薇色の人生の響きは、トゲがありつつも懸命に生きる凛とした姿、のイメージであった。

なにはともあれ、人生を表現する言葉は多岐に渡るということであろう。

私にはフルマラソンと協奏曲が人生を表すものとして一番しっくりとくる。

1分の曲だと16小節。
1日あたりだと何小節だろう。

計算が苦手ではないので、このくらいにしたいと思う。
今日も明日も明後日も、80億4500万人の人間が一人一人小節を刻んでいく。

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