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「でもやっぱり人間向いてないわ」後遺症

パパ活を否定しているわけではないが、
パパ活には後遺症があると思っている。
そして、私はパパ活には向いてない。

もし、パパ活をやってしまったら、
私は会社では働けなくなると思う。

バカバカしく感じると思う。
そして、パパ活で連れて行ってもらえたお店には
普段は連れて行ってもらえず、
日常がより地味に感じる気がする。

チヤホヤされなくなっていくことに
辛さを感じそうである。
歳をとることが怖く感じるであろう。

一種の覚醒剤のようなものではないかとさえと、
妄想が広がってしまう。

パパ活はやったことがないが、
大学生の頃から何かと目にかけてもらえることが多く、お金に困ったことはさほどなかった。

そうすると、
お金に困った時、困らないように周りに助けてもらったことをより実感する。
だからと言って、
何でもかんでも手に入ったかとそうでもない。

なぜ、これ書こうかと思ったかというと、
私の生きていた経験が少しばかり今の生きづらさに繋がり、
その感覚を少し変えないと行けないと思うからである。


ある程度体の関係がないと、捨てられるのではないかという感覚がある。だから、体の関係がないと不安になるのである。
でも、体の関係がなくても良くしてくれる人はいる。でもでも、体の関係がないとダメだとはっきりいう人もいる。
ある程度、性処理の役割もあるのだという。
好きな人から言われると、どうして受け入れてしまうんだろう。
一人ひとり違うはずなのに、
どうしてくくってしまったんだろう。

自分が傷つきたくなくて、
信じることを防衛的に覚えたんだと思う。


タイトルの「後遺症」というと
まるで悪いもののように感じるかもしれないけれど、そんなこともない。
意図的に、人のせいのようなタイトルにした。
でも、それを踏まえて、私はどう生きるかだから、と思っている。


「子供って 乾く前のセメントみたいなんですって 落としたものの形が そのまま跡になって 残るんですよ」

田村由美「ミステリと言う勿れ」

この言葉がすごく突き刺さる。
そうなんだよ、と自分の子どもの頃を思い出すよりも先に、まだ見ぬ自分の子どものことを考えた。

数ヶ月前に私は破談した。2回目の破談だ。
今回も自分が決めたこと。そう言い聞かせて数ヶ月過ごした。でも、もやもやしていて、苦しかった。
けれど、この言葉を聞いて、スーッと楽になったのと同時に頬にスーッと伝う涙。
どこまでnoteに書いたか忘れたけれど、
まだ結婚もしてないのに、まだ細胞ですらないのに、「男の子の名前の辞書を買った」「うちの家は、お坊さんが名前を決めるんだ」と言われていた。先に生まれた彼らの孫は、お坊さんが決めた名前じゃなかったから、抱き抱えながら「◎◎(お坊さんがつけた名前)がよかった」と言っているのを聞いて、
私は絶対にそれをその子にも自分の子にも聞かすまいと誓った。
それは深く深く柔らかいセメントに残ってしまうと思ったから。でも、私1人ではそれから守ることができないと思った。一緒に守るはずの人が横にいるだけで、私の説明もうまくはなかったかもしれないが、伝わらないことが辛いと感じた。
この言葉が、数ヶ月間の私のモヤモヤを晴らしてくれた気がする。
意図的に跡を付けに行こうとは思わない。
自分が選んだ道だから正しいと思いたいのだけれど、それでも、この言葉に背中を押されてスッキリした。決断前にこの言葉を知っていたら、もしかしたら今が変わっていたのかもしれないとは思いつつも、それは誰にもわからないのだから、変わらなかったと言うことにする。それが生きやすいから。

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そして、、、
私にもくっきりとセメントに跡がついている。セメント自体はもう何もできない。滑らかにするには他のものを埋めるしかない。
それは、埋めていると分かったとしても、それが私なのだから仕方ない。

でも、そう考えると、めちゃくちゃわかりやすい。私がセメントに深く残るようなことをしていることもある。もう私のセメントは固まってしまったから、今度は跡をつける可能性があるということを心したいと思った。


最近は文章を書き切ることをしていなくて、
溜まっていくことに何の躊躇いもなくなってきていたが、一旦リセットしたいと思った。


後遺症、だからこそ、治ると信じて。
私たちには埋められる、リカバリーできる力があるんだ。

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