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1年前の3月14日は忘れられない。

ちょうど前日に学校の Fun Run(ファンラン)というイベントがあった。

アメリカに来て間もない私たちには、初めてのイベントだった。日本での運動会的な催しに当たると思う。全校生徒がお揃いのTシャツを着て、保護者も見に来て、子供たちが走る姿を見たり、友達と一緒のわが子の写真を撮りまくったりした。

ちょうど子供の誕生日が近かったので、滅多に会えない保護者に「誕生パーティーに招待したいから、連絡先を教えてください」と声をかけたりもした。アメリカに来てまだ半年、一気に連絡先の登録が増えた日だった。

当時は、アメリカでも既にコロナが流行している地域があったが、西海岸と東海岸が中心で、まだ中南部には来ていなかった。みんなのんびり構えていた。

ところがFun Runの翌日、Spring Break(春休み)に入った初日、私の住む都市で初のコロナ感染者が「3名」発生した。そこから一気に「完全自宅待機」となってしまった。食料品店や銀行以外の店は全て営業停止した。

「春休みはどこに遊びに行こうか?」なんて考えていたのに、「未知のウイルスがついにやって来た!」という恐怖で、それどころでは無くなってしまった。

人々は自宅待機に備え、食料、水、トイレットペーパーなどの紙類を求めて、スーパーが大混雑となった。

私も「アジア人がマスクをつけて目立たないかな?」と心配しながらマスクをつけて買い物に出掛けた。
当時はマスクが浸透しておらず、ニューヨークでマスクを付けたアジア人女性が暴漢に襲われたというニュースもあった。「アメリカ人が絶対マスクなんて付けるはずが無い」と思っていたのに、店に行くと意外にもマスクを付けた欧米人がチラホラ居た。

初めは「Social Distance」も浸透しておらず、確かスーパーでの入場制限もしていなかったと思う。レジに1時間以上並んで、大混雑だったのを覚えている。後になって「スーパーの混雑の方が、感染リスクが高いな」と気付き、混雑を避けるようになった。

その後、スーパーの棚から、消毒薬、ハンドソープ、水、小麦粉、卵、牛乳、肉、紙類(トイレットペーパー、キッチンペーパー、ボックスティッシュ、ウェットティッシュ)などの商品が一気に消えた。

それから1週間経つと、感染予防対策が進み、スーパーの入場制限ができた。入り口の前で並ぶ時にも、レジで並ぶ際にも「6フィート空けて並んでください」と指示された。

レジの担当者が一番ピリピリしていて、私がレジ台に商品を置こうとしたら、「ここから先は入ってこないでよ!感染するなんてごめんだわ!」とキレられた。

客を病原菌扱いする店員、、、。

未知のウイルスで誰もが怖いのだ。気持ちは分からなくも無いけれど、あからさまな態度で不快だった。

でも、嫌な思いをしたのはその時くらい。みんな冷静だったし、譲り合っていたし、差別も無かったし、レジに並びながらジョークを言い合ったりして、緊張の中でも和やかな雰囲気だった。
「みんなでこの困難を乗り越えよう。助け合おう。」という気持ちを感じた。「日本人と同じだな」と感じて、嬉しかったのを覚えている。

学校は全てオンラインになり、子供たちはクラスメイトと一度も会えないまま、5月末で学年が終わってしまった。

予定していた子供の誕生パーティーも、もちろん中止した。

放課後に毎日友達と遊んでいた公園にも、それきり一度も行っていない。

暖かくなればウイルスが死滅するのでは?との期待もむなしく、夏にかけてどんどん感染者が増え、友達の知り合いが亡くなったとか、怖い話も時々聞いたりした。

「公共の場でのマスク着用」が法律で義務化され、「破ると罰金200ドル」(約2万円)と定められた。個人の自由を大事にするアメリカで、マスクが強制された。


あれから、もう1年経ってしまった。。。
当時は、こんなに長引くとは想像もしなかった。夏か秋には終息するだろう、と思っていた。

アメリカに来て1年半、自由に動けたのは最初の半年だけ、残りの1年(3分の2)は自宅待機。そして今も継続中。。。

ちょうど先週からマスク着用義務の法律が撤廃された。罰則は無くなったが、どこのスーパーでも入り口に「マスク着用をお願いします」と貼り出している。1年に及ぶマスク生活に慣らされたアメリカ人、マスクを外して外出する人なんて、今では一人も見かけない。

これからどうなるのだろう?
1月ごろ、医療従事者がワクチンを接種した。
そして最近、学校の先生たちが、ワクチンを接種したと聞いた。

早く安全で自由な生活に戻って欲しいけれど、ワクチンの安全性も心配だ。

今日の日付を見て、1年を振り返り、感慨深くなった。

-おわり-


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