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1年が経ち

 本日は2023年9月4日、大学自転車界最高峰のレースであるインカレのロードレースにおいて、落車により1名の選手が命を失うという悲しい事故が発生してからちょうど1年が経ちました。

 この1年の間にはUCIワールドツアーチームに所属していた選手がレース中の落車事故により亡くなる事故が発生したということもあり、自転車競技の安全性について考え直す声は国内にとどまらず、むしろ海外においてより活発に議論されるようにもなりました。この記事ではそんな1年間で何が変わり、また今後どのような方向に向かっていくべきなのかというのを少々まとめてみたいと思います。

プロテクターの活動について

 これまで私は自転車競技の安全性向上に必要な要素として、選手の技術向上、安全装備の拡充、そしてレースの運営側による安全対策の3点が重要であると発信してきました。その中でも安全装備については個人での検証・考察が比較的容易であったため、自転車競技の安全性に関する私の発信の軸は自然とプロテクター関連のものになりました。
 プロテクターの使用感はここ1年間のレースやトレーニングでの検証を通じて、以前に想像していた以上に自転車競技に馴染みうるものであると感じられました。自転車競技に特化したプロテクターが本格的に開発、販売されるようになればさらに多くの人にこの感想を共有できるでしょう。

 またプロテクターについて発信し始めた当初は自転車競技とプロテクターがイメージ的に相性の悪いものであり、過去の例から考えても否定的な意見が多くなることを覚悟していました。しかし蓋を開けてみると想定以上に肯定的な意見が多く、私の記事を参考にプロテクターを着用してみたという声も聞くことができるなど想定していなかった好反応に戸惑ったことを覚えています。今年に入ってからは栗村修さんと対談しそれを輪生相談の記事にしていただける機会を頂き、自転車競技×プロテクターという組み合わせの存在をより多くの人に知ってもらうことができました。

 総じてこの1年でプロテクター関連の活動は想定以上の結果を挙げており、自転車競技の世界ではネガティブイメージの強かったプロテクターについて、国内においてはある程度のイメージ改善が果たせたのではないかと考えています。

運営側の取り組みについて

 インカレの事故以後、学連はレースの安全性向上のため選手に講習会の受講を義務付けました。これは大学からレースを始めるような選手であったり、これまであまり走行技術に関する指導を受けてこなかった選手達も多くいるという状況を考えれば意義があるものだと思いますが、受講する講習会によって教えられる内容が質、量ともに大きく異なってしまうというのは問題だと感じています。これは講習会がインカレの事故を受けて急遽計画されたものであり仕方ない部分もありますが、今後も続けていくのであれば特に実地での講習会について、最低限教えるべき事柄について統一的な要領を定めるべきであると考えています。
 海外における動きを見てみると、今年のツール・ド・スイスにおいてジーノ・メーダ―選手が亡くなる事故があったわずか2週間後にはUCI等の団体がロードレースの安全性向上を目的とした組織である「SafeR」という組織を発足させ、またツール・ド・フランスにおいては一部コースの危険化下り区間に大きなパッド付バリアが設置される等の対応がとられました。特にレースの安全性向上に特化した組織を設立するというのは面白い取り組みで、安全対策をそれまでレースを運営してきた組織に任せきりにしないことで発想の硬直化防止や別角度からのリスクの洗い出しが可能になるかもしれません。SafeRがうまく機能するようであれば、是非ともその仕組みを国内にも輸入していくべきだと思います。

今後の活動について

 この1年間はプロテクターについての話題を主として自転車競技の安全性に関する記事をいくつか書き、またSNS上でも発信をしていました。しかしここ最近では個人的な理由によって時間・精神的余裕が無くなってきており、また今後もその状況が続くであろうことから、事故から1年というタイミングを節目に私自身から主体的に記事を書くような形の発信は休止します。SNSでの今後の発信はこれまでの活動に関連する話題の宣伝等が主になります。
 これまでSNS上やレース会場等で私の活動を応援してくださった方々には非常に励まされました。温かい言葉をかけてくださった皆様に厚く御礼申し上げるとともに、今後の自転車生活が安全かつ充実したものになるよう心よりお祈り申し上げます。

 最後になりますが、1年前のインカレに関する記事の中で、最も重要かつ忘れてほしくない部分を引用しこの記事を締めさせていただきます。

 インカレロードで起こってしまった事故は非常に痛ましくショッキングなものでした。しかし私が真に恐れているのはこの痛ましくショッキングな事故が「自転車競技は危ない」というだけの文脈で語られ、消費され、いつの間にか忘れ去られてしまうことです。私は今回亡くなった選手を個人的に知るわけではありませんし、もちろん彼の代弁者たる資格もありませんが、彼が自らの青春を捧げるほど入れ込んでいた自転車競技をそのように扱われてしまうというのは悲しいことなのではないかと思います。私たちがすべき扱いはそのようなものではなく、むしろ今回の教訓を次に活かして自転車競技の安全性を高め、さらなる発展を目指すことではないでしょうか。


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