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ダンガンロンパV3 ネタバレ感想

以下は私が最近ダンガンロンパV3をクリアしたので書いた感想文。メッセージ性オタクなので抽象的な話ばっかりです。なんでもいいから感想を漁らせろ!という人向け。この人の理解おかしくね?と思っても優しくしてください。


前提として企画・シナリオに携わった小高和剛氏のインタビューによると、

ええ。主人公は主人公なりに、主人公の意見を言っているだけです。それは僕の意見ではないですし、押し付ける気もありません。(...)

そうです。学級裁判や会話の中で哲学と哲学がぶつかり合い、プレイヤーにはそこからなにかを感じ取ってほしい。感じ取れるようにするべく、全員の哲学はしっかりと作るように心がけています。中には僕自身の哲学とは正反対のものもありますが、それも含めて、しっかりと。

賛否両論を越えてでも作りたかったゲーム―「ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期」小高和剛氏にインタビュー - gamer.ne.jp
https://www.gamer.ne.jp/news/201702180002/

とのことなので作中のメッセージらしきものすなわち作者の主張とすべきではない。ただしフィクションが現実に与える影響の重要性は作者自身もインタビューで述べているので、これは著者の主張と言っていいだろう。


とにかく議論パートのUIと演出がシリーズで最も洗練されていて良かった。ダンガンロンパのゲームとしての良さは議論パートの演出にかかっていると思う。推理ゲームはたくさん存在するが、このゲームはデスゲームという崖っぷちシチュエーション、議論パートのダークかつノレる音楽、二転三転する展開によって不健全なアドレナリンがでるのがいい。さながらカイジのようにドキドキと冷や汗を感じながら推理するのが意外と他にないゲーム体験だ。私がダンガンロンパのメディアミックスや外伝作品にいまいちノレないのは、学級裁判がプレイできないからと言い換えても過言ではない。

好みのキャラとしては最原終一くん一択。過剰なくらいポップな設定が割り当てられるダンガンロンパにおいて、人から影響を受けて成長するキャラはやっぱり愛着が湧く。苗木くんと異なり、彼は自発的な希望すら持たない人物だった。しかしそのために赤松、百田からの影響が希望となって成長していく展開を描けたし、キーボと異なり後述する絶望と希望の対立軸を乗り越えることができた。そしてこの成長描写は嘘へのカウンターとも読める。設定と記憶という嘘が全てを覆い尽くしてしまったかのように白銀は語るが、最原達の身体は現実であるからこそ、これまでの経験とそこから蒸留されたセンスが真実として残されている…というのがアツい。(余談だが最原の希望となった百田も、4章にて現実を直視するよりも信条に則ったロマンチックな死を選ぶという危うい面を見せたのが良かった。拙者人格之多面性扱丁寧作家好侍故)

章に注目すると、3章以降が好きだった。第一の殺人の手掛かりが足りないところから始まる3章は、犯人との鍔迫り合いとしてはV3で最も楽しめる章だった。百田との対立が生じる4章、真実と嘘の関係性について最原が覚醒する5章、ダンガンロンパ自体の解体と創作論に飛躍する6章についてはメインテーマに関する一連の話として楽しめた。

6章以降の「嘘か真実かは重要ではなく、現実に善く影響するかどうかが重要」「信じたいものを信じればいい」という曖昧な態度が嫌いな人も多いと思う。6章以降ではダンガンロンパの推理以外に、フィクションに関する思索が混ざっており、これが混乱の原因となっている。ここで言われている嘘が創作物のような、明確にフィクションと分かるようなものなら上記のような態度でいいだろう。しかし野放図に事実を騙った嘘を垂れ流されても困るばかりである。そういう今どきの問題が加味されてないのは牧歌的すぎる。個人的には6章で最原が語るメッセージはあくまで創作物との向き合い方と限定し、社会的な態度に関しては5章の百田-最原の考え方、「真実を見極めた人だけがそれを踏まえた決断を下すことができる」を受け取るのが良いのかなと思う。5章の裁判で最原がやってみせたように、嘘を適切に取り扱うにはその周辺をちゃんと真実で踏み固めておく必要がある。

1にて希望を描き、2にて絶望(の残党)について描いたあと、何が残されているか?と考えると、希望と絶望という二項対立自体を乗り越えるという発想に行きつくのかなと思う。絶望は勿論のこと、繰り返されるダンガンロンパにおいては希望もまた悲劇の上に成り立っており、残酷であることには変わりない。最原達は悲劇を安易に消費することへの暴力性を指摘することで、希望か絶望かという構図を乗り越えていった。悲劇はあまりにも根本的な物語のジャンルなので、ほとんどの人類に刺さるようになっている。希望厨マインドの私は勿論のこと、これにはダンガンロンパ開発スタッフ自身も含まれている。このシーンは開発スタッフからの説教というわけではなく、「物語内にて自我の芽生えた最原達が、物語内外の全人類に刺さる超巨大ブーメランで全てをなぎ倒し卒業していった」という話なのだろう。キャラクターに思い入れがある方の心中はお察しするが、個人的には最原が希望を否定する辺りから驚きの連続ですごいものを見た…という感想。「楽しい!」というより「すごいな」。

ここでいう希望厨マインドとは、悲観的な世界であっても消し去れない希望が存在すると信じ、そういった希望にはどのようなものがありうるか考えたい欲求のことである。シリアスなコンテンツを真面目に見たり作ったりする人の何割かは持っているものだと思う。私はダンガンロンパに限らず重たいコンテンツが大好物なのだが、これもそういった心理によるものと考えている。現実に対して希望厨マインドを向けるとV3物語内の視聴者や狛枝くんと同じバケモンになってしまうので気を付けたい。


といった感じで大体楽しめたし議論パートのカッコよさはシリーズ最高と言ってもいいが、唯一嫌なポイントがある。「笑えない下ネタの多さ」だ。過去作品でも結構キツいところはあるが、より過激になっている気がする。入間に至っては、むしろ過剰すぎる下ネタは不快だろ?というダンロン流のブラックジョークをそのままキャラ化したかのように見えてしまう。

プロローグと6章で白銀が語った世界観は複数矛盾しており、プレイヤーはここから幾つかの推理を与えることが可能らしい。例えばオーディション映像の通り参加者がダンガンロンパファンだとすると、前回生き残った天海に気付かないのはおかしいなど。プロローグと6章を交互に見返しながら矛盾を探せばまだ楽しめそうだが、個人的にはもうおなか一杯なので誰かやってみてほしい。そういうことをもっと詳細に語っているブログが以下:https://www.citrussin.com/entry/2017/02/05/173512


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