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学童期のスポーツによって起きた巨大網膜裂孔

こんにちは 歯科衛生士のkotubuです。

私は、20歳の誕生日を迎えた直後に、右眼の裂孔原性網膜剝離と診断され、

ほぼ全周網膜剥離を起こしていた為、翌日に

網膜復位術(強膜バックリング手術)・網膜冷凍凝固術を

大学病院で受けました。

これが今から約10年前

網膜剝離の発生頻度は、1万人に1人

とされていますが

私のような若者の網膜剝離は、意外と多いのです。

網膜剝離が起きやすい年齢は、

10~20代および50代以降原因は大きく違いますが、

10~20代は、急にスポーツを始めたり、

男の子だとヤンチャして剥離が起きるなど

外傷性が比較的多く、


50代以降は、眼の老化が急激に進む為、網膜剝離のリスクが上がります。

その他

近視

アトピー性皮膚炎(毎日何回も眼をこすり、摩擦で剥離する)

遺伝(元々網膜が薄いなど)

などです。

私の場合の網膜剝離は、

所謂ボクサーのなる典型的な裂孔原性網膜剝離でした。

私は、学童期からバスケットボールを習い事で通っていました。


バスケやサッカーは格闘技のように激しいスポーツで

相手の肘や膝が顔面に当たることは珍しくありません。

しかし眼や顔面を強打したとしても、大人が冷静な判断を下し、

適切に医師を選び、検査・診断をすればここまで悪化することは

可能性として低かったようですが、

私が置かれていた環境は、怪我を精神論で片づけるような

昭和臭漂う悲惨な環境でありました。

その為、発見が遅れ症状が出てから病院に行ったので、

網膜がほとんど眼球一周剝がれていました。

(左眼の視力は当時1.5ほどあり

問題なく見えていたので右眼が

見えていないことに気が付きませんでした。)

当時の医師からは、

「随分前、恐らく学童期にやっていたバスケで受けた

外傷で網膜に巨大裂孔ができ、長い年月をかけて剥離していった」

と20歳の時に、説明を受けました。


この時、既に視力は0.1

かなりの時間が経過していました。

(小中の視力検査も問題なかったと記憶しています)

当時私の周囲にいた大人たちが情弱であったこと、

痛みを主張しても

「弱い」のひと言で片づける大人が多くいた環境は、

今となってその環境に置かれていた当時の幼い自身を可哀そうに思います。

正直なことを言うと、この大人たちを強烈に「恨みました

当時のことを、未だに思い出します。

誰しもが、子どもの頃に受ける大人たちの影響は大きいです。

それが私の場合

苦い記憶と共に様々な後遺症

一生涯付き合うことになりました。

まだまだ知識の浅い若さ、自身の力だけではどうすることもできない

学童期に起こった怪我

それによって人生が大きく変わってしまいました。

病気になり、すぐに恨んだわけではありません。

たくさん挫折をし、

また立ち上がり、

また挫折、、、

大人になり

「周囲の大人の責任であった」

と、やっと思えました。

ただ、人を恨んでいても何も状況は変わりません。

専門的に、学術的に医療を少し勉強しました。

今、大人になった私が、過去の子供の私を救ってあげたい。

そんな気持ちで後遺症と向き合っています。


ところで、国内ではどうしても

眼疾患は、高齢者がなるものなんだ

という先入観があるかと思います。

命と直接的に関係ないとされ、軽視されていますね。

私もそうでした。

しかし10年この病と付き合ってきて

私のような子供のころ、気が付かずに病が進行していた方や

大学病院で手術をしたが、予後が悪い

大学病院で手術を何回もされた

など若くして苦しんでいる方を知っています。

私が一生後悔しているのは、

気をつけていればここまで苦しむことはなかった

ことです。

親御さんは、ぜひ適切に医師を選び

お子さんの、生涯に渡る大切な大切な「眼」を守ってあげてください。




もしkotubuを応援したい❗️サポートしたい❗️ と思って頂いた方🥰 これから病気を乗り越えて 残り約60年弱の人生。 右眼を守り抜くサポートをして頂きたいです🥺 ぜひ宜しくお願いいたします❤️‍🔥