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人が描く絵と機械が描く絵

絵を描く最初は
「どうやって描いていこうか?」と悩みながら描いていくので、混沌とした線が多く複雑な状態で、クオリティも高いとは言えません。でも描き進めている内に線が一本にまとまってきたり、整理されてくると見やすくなるし、クオリティも上がってくる感じがします。

例えば私が描くひまわりの絵だと、
これが最初の描き出しの感じ

描き始めの状態で、大雑把であると同時に未整理


2枚目は描き進めていきながらクオリティも上がってきたのですが、線が多すぎたり乱雑な状態。

ある程度まとまりながらも、
線が多すぎるので“描き過ぎ”ている感じ


完成と呼べる状態


2枚目の状態が“描き過ぎ”の状態だとすると完成形は引き算をしながら線が整理された状態です。その“引き算”をして完成する場合、情報が簡潔になってわかりやすくなりクオリティが上がる一方で、シンプルが故にある意味機械にも描けそうな感覚があるのです。

その体験から、、、

“ロジカルな線はクオリティが高いけど、機械にも描ける。”

一方で、

“反ロジカル、つまり感覚的な線はクオリティが低く見えるけど、人にしか描けない。”

と言うのが私の感覚なのですが、
じゃあ、、、
・ロジカルな線、ロジカルな絵って何?
・感覚的な線、感覚的な絵って何?
みたいなことを少し書いてみます。


ロジカルな線って言うのは、合理的なルールがあると言うか、“整理”された線みたいなもの。
例えば写真をPhotoshopとかで自動処理して絵画風にしたり、線描に変換したりしたもの。そう言ったものは、ある一定のルールによって描かれた線であり、数学的に処理されているような感覚もあります。だから、あるロジックに合わせて描けば誰でも描けるし、機械にも描ける、といった感覚です。そうしたものは“見るに耐えられる”と言うか、安定したクオリティを感じられるように思うのです、、、

一方、反ロジカルで感覚的な線と言うのはまさに子供が描いた絵のようなもの。子供の描く線は、まさに感覚的と言うか、揺らぎのようなものがあります。“整理”されているとは言えないので、ルールを解析することが出来ず再現は難しい。そのため、描いた本人であっても、又大人が描き直してみても、もう一度描くことが難しかったりします。もちろんルール解析が出来ないので機械には描けません。子供の絵本には感覚的な絵の作品が多いと思いますが、一見絵のクオリティが低く感じられる一方で、それぞれに不思議な魅力があります。

そこで!
そのバランスをとりつつ描くことで、魅力的な絵が描けるのではないか?
と思ったのです。
一定のルールがあるようなロジカルさを持ちつつ、同時に感覚的な描写がされているような絵、
つまり、
・ロジカルなルール
・感覚的な描写
という二つの要素を内包した絵を描くことが出来れば、魅力的な絵が描けるのでは?
と。

私の場合は、ベースでロジカルな描き方を考えつつ、そこに何%の割合で感覚的な描写を入れるか?と言うように、感覚的な要素の方を調整して考えたりします。

例えば、
次のチューリップの絵は写真をベースに描きあげたもの。写真は機械的な処理がされているので、ロジカルに基づいた絵を描くにはちょうど良い。
仮に
ロジカル70%
感覚30%
としてみましょう。

一方で、次は同じ構図なんだけど、かなり自由でラフに、身体の動きに任せて線を組み合わせて描きあげたもの。
先程に比べると
ロジカル60%
感覚40%
と1段階くらいは感覚的な要素が増したと思います。

クオリティと言う観点で見ると、私は1枚目の絵の方が質が高いように思うのですが、2枚目の絵も、我ながらどこか不思議な魅力を持っていると思うのです。

ロジカルな線や絵だけでは、AIの描くもので十分に素晴らしいし、結果クオリティも高く感じられます。だから、「人間が絵を描く必要はない!」なんて言う話が出てくるのも当然です。
そんな時代に、人間の描く絵を考えると、やっぱり反ロジカルで、感覚的で身体的なエモーショナルな部分に注目せざる負えないように思うのです。

機械が描く絵と人が描く絵。
工房的に仕上げた絵と属人的に仕上げた絵。
未熟な技術で描く絵と達者な技術で描く絵。

これらは、どちらが優れているか?ではなく、
“ロジカルなクオリティ”

“エモーショナルなオリジナリティ”
のバランスの中で存在していると思いますし、その中で「絵」を考えることはとても面白いと思うのです。

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