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本が全然読み終わらない

本が全然読み終わらない。

昨日アップした読書リストは先週とラインナップがほとんど変わらなかった。

正確には、1冊減っただけ。その1冊というのもまだ読んでいる途中の『源氏物語(下)』で、今朝やっと折り返し地点を越えたところである。まだ終わらない。

11月に入った時点では、年間200冊の目標に対してかなりアドバンテージのある状態だったので「今月中に200冊行っちゃうかもしれないな」なんて余裕かましていたんだけど。気がついたら今月はまだ9冊しか読了していない。月9冊って、年間100冊のときのペースだ。
あまりの振るわなさっぷりに、わたしが一番驚いている。この原因はなんだろう?

思い当たるのは、夏に『ファーブル昆虫記』シリーズ、秋に『日本の歴史』シリーズ、ときて今月から『日本文学全集』シリーズに突入したこと。
ファーブルもめちゃくちゃ分厚かったけど、脚注も注釈も膨大で本文の割合が抑えめだった。それに何より、かなり読みやすかった。
日本の歴史は厚みこそないものの漫画で予習した上で本文を読むので流れが汲みやすかったし、ノートを取りながら集中して読んだので短時間で読めた。

そこへきて、『日本文学全集』である。
一冊ずつが国語辞典サイズで、中身もかなりしっかり書き込まれている。振り返ってみたらまだ『源氏物語(上・中・下)』『古事記』『樋口一葉・夏目漱石・森鴎外』しか読んでいないのに、もうだいぶ読んだ気分なのだ。

単純に読むのに時間がかかるのもそうだけれど、一冊が重すぎて通勤のお供にするのが億劫なのもある。
それから、小説って入り込むまでに数々の心理的な障壁があるなと年齢とともに強く感じるようになっている。子どもの頃はそんなのものともせずにどんどん読んでいたはずなのに、今のわたしは読むまでが長い。
大人になるってこういうことなのかな?
それとも、もっと気持ちに余裕がもてているときにはそんなでもないのかな?

…いろいろ言い訳がましいことを書き連ねてきたけれど、それでもやっぱり『日本文学全集』は読みたい。これからのわたしの読書生活をより豊かにするための土壌づくりなのだと思っている。漱石の『三四郎』や鴎外の『青年』でイプセンが出てきたときに「人形の家!」と繋がった瞬間が幸せだった。わたしはその瞬間のためにもっと読みたい。この世界に浸っていたい。

だから、少しだけ工夫をしよう。
『日本文学全集』は一週間に一冊まで組み込もう。なんなら二週間かけて読む心づもりでもいいぐらいだ。欲張りすぎないように気をつけよう。
あと、通勤のお供は文庫本にしよう。重すぎるから。

さ、『車輪の下』を読もうっと。

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