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[物語]「西王母の霊薬」

割引あり

(古代中国・夏王朝初期の伝説を題材とした叙事詩。摂政・后羿の妃・姮娥は、不老不死の霊薬を飲んで、本当に月に昇ってしまったのか?真実や如何に?)



「西王母の霊薬」(上)

時は夏王かおう仲康ちゅうこうの御代
河洛からくの外に出た先王太康たいこうの都斟鄩しんじんへの帰還を阻みの政を簒奪して摂政の位に就いた后羿こうげいは甚だ野心家であり非常に強欲な性質の持ち主であった
その后羿は仲康と気脈を通じる伯封はくほうという諸侯を討つためこの夜半に大軍を率いて都に隣接する伯封領へ向けて出陣するという

四年前に太康の弟の仲康を王に擁立したのは后羿である
仲康は王となった当初こそ即位の立役者である后羿に恩義を感じ為すがままにさせていた
しかし次第に専横を強め驕慢となる后羿を苦々しく思うようになる
そのため仲康は夏国の実権を握る后羿の勢力を切り崩そうと后羿に与する羲和ぎわの罪を殊更に数え上げ昨年の秋にいん氏を遣わし討伐してしまった
またこの春には后羿一味と見られる数人の諸侯の官位を過去に犯した軽微な過ちを理由に剥いでしまった
この度の后羿の出陣はこうした仲康のこれまでの攻勢に対する警告であり報復であった

秋の月が東の空に昇り涼やかな虫の声が響き渡る宵の刻
后羿は都域に築いた豪奢な宮の正殿で正室の姮娥こうがや年若い側室等を侍らせて食事をとった
有窮国ゆうきゅうこくの国主の妻として二十数年間に渡り傲慢で女癖の悪い夫に従順に付き従ってきた姮娥はこの席が后羿との最後の晩餐となることを悟られぬよう努めて平静を装った

さて他に類を見ない重税を課されるなど苛政に苦しむ伯封領の民衆の救済を口実に后羿が軍を起こしたことには他にも幾つかの動機があった
まず王の盟友を討伐することにより王の勢力を削り王への当て付けができることが一つ
また王の命によらず摂政たる自らの命令で軍を起こすことにより各諸侯がどのように動くかが見えそのことにより敵味方の区別を明確にできることが一つ
さらに伯封を亡き者とすればその領地と彼の一族が欲望の趣くままに貯め込んだ財宝の大部分を己の物とすることができる
そして伯封を討つ最大のインセンティブは稀代の美人と世に知れ渡る伯封の母を我がものにできるということであった

伯封の母は名を純児じゅんじといい有仍国ゆうじょうこくの国主の娘であり歳若くして同じく諸侯の后夔こうきに嫁いで伯封を産んだ
純児は元々童顔の美少女であったが歳を重ねるに従いそれに艶やかさが加わりその美貌が夏国中に知られるようになっていた
また長い髪が黒漆のように深い輝きを放つ純児のことを后夔が「玄妻げんさい」と呼んでいたことから世の人々も彼女のことを敬意を込めてそう呼ぶようになっていた
やがて后夔は壮年のうちに病没し伯封が幼くして跡を継いで玄妻が後見を務めることとなった

后羿の出陣が前述のような理由によるものであることを姮娥は百も承知していた
また敵軍の数十倍はあろうかという軍勢の集まり具合を見るに伯封は明日の昼を待たずに戦場でその息の根を止められることになると思われた
伯封軍を撃破した后羿はその後に伯封の宮城に攻め込んでその母の玄妻を宮城の奥深くで生け捕りにし夕刻には玄妻を伴いこの宮殿の門を潜るのであろう

晩餐の折
姮娥は勝ち戦を確信して上機嫌な后羿に西王母せいおうぼの霊薬をそろそろ試してみたいと耳元で囁いた
后羿は驚いたように姮娥の顔を見返した
西王母の霊薬とは后羿が遥か西方にある西王母の国から数年前に取り寄せた不老不死の効能を持つという高価な二個の丸薬のことである

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