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[論評的詩]「注視する」

ある国の財務大臣が
自国の通貨安への対応を記者に聞かれて
「為替相場を注視していく」と答えていた

私は噴き出してしまった
為替相場が歳入・歳出に直接的に影響する行政庁が
相場を監視するのは当たり前のことだからだ

さらに「注視」とは注意深く見守ることだ
要は何も対応せず行動しないということだ
見ているだけの大臣やその下にいる官僚はたぶんお馬鹿さんなのだ
通貨安の影響が各所に顕在化しているのに
何もしないのなら関係する多くの大臣や官僚は必要がないと思われる
たぶん彼等は「注視」という言葉を使えばいかにも何かしているようで
格好がつくと思っているのだろう
「見る」に「注意」が付いただけの言葉遊びをしている余裕などないはずだが

質問した記者やその国の国民は
為替相場が過剰に振れた時に
どのように毅然と対応するかを聞きたいのだ
結果として強い意思を口にせず
何の政策を打ち出すことのないその国の通貨は
さらに下落していく

これだけ経済がグローバル化した世界では
自国の通貨安は自国の財の減少を招く
俄か大臣が「注視している間」にも
その国の国力は少しずつ削がれていく

わが国でも最近とみに社会のあちらこちらで
官民問わず「注視する」という言葉が使われるようになってきたが
その言葉は「恥ずかしい言葉」であることを知るべきだと私は思う

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