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現実逃避するためのお酒は、いつも後味が虚しかった。

僕はお酒が飲めない。というより、正確に言えばお酒を飲むことをいつからかやめた。どうしてやめたのかというと、お酒を理由にストレスを発散したり、現実逃避しようとする自分を見て、心底嫌気を刺したからだ。

もちろんお酒を飲むことが決して悪いことだとは全く思っていない。ただ僕は、無理に笑って、はしゃいで飲むお酒の後の反動にいつも後悔していた自分がいた。酔いがまわって二日酔いになって。それがとても悲しくて、虚しさを覚えるようになって、何だかやるせなくなることもあった。

学生の頃は、友達みんなビールを飲むなかで、僕は一人よくチューハイを注文していた。別にそんなにお酒が好きだったわけではないけれど、友達といられる時間は幸せだったし、楽しいと思えてた。そんな優越感に浸る時間の波に乗っかるようにさらにお酒を飲んではハイになろうとした。

ただ僕は、本当は心の何処かで気付いているような気がした。どこか周りに合わせている自分がいることに。

友達といられる時間を少しでも長く楽しみたかった。学生の頃は、永遠さえあると疑わなかった。

しかし、大学を卒業してからというものの、社会人になった僕達は連絡をほとんど取ることもなく、「友達」という関係性はいとも簡単に途切れた。

それ以来僕は、「友達」とは一体何なのか、分からず孤独に過ごしてきた。どんな人のことを「友達」と呼んでいいのか、その境目がわからなくなった。

僕はずっと友達ごっこをしていただけなのかもしれない。孤独を感じるのが嫌で、寂しさを紛らわすために無理をして友達に合わせてお酒を飲んで、楽しい自分を演じさせていたんだ。

もちろん全く楽しかったというわけではないし、友達に嫌われていたとも思っていないけれど、心は何処かいつも寂しかった。孤独だった。。

社会人になってからも、しばらくよく一人でコンビニに立ち寄って、そんなに飲めるわけでもないのにわざわざアルコール度数高めの一番大きな缶チューハイをよく買ってお風呂上がりの深夜によく飲んでいた。

だが、全然美味しいと思わなかった。そんなに美味しいわけでもないのに、美味しいと思おうとしていたのだ。きっと毎日飲み続けていればビールだっていつか美味しいと思える日が来る。社会人になりたての頃は、何故かお酒が強くなることで今よりももっと大人になれると思ってた。

しかし、酔って多少気分がよくなっても、心にぽっかり空いた隙間を埋めることはいつも出来なかった。毎日働きに出て、同じ仕事をただこなすことを繰り返すばかりで。旧友と会うことすら出来ず、仕事だけして帰宅する毎日にふと泣きたくなることも何度もあった。そんなことを30歳を過ぎるまでずっと繰り返していたのだ。

そして無理をしてお酒を飲む自分の姿が情けなく思えて、それっきり僕はお酒を飲むことをやめた。こんな気持ちになるぐらいだったら、もうお酒なんて飲む必要ない。

幸い、お酒に依存することもなく、僕は簡単に断酒することが出来た。別にもともとそんなに美味しいとも思ったことがないから。

そして学んだ。お酒を飲んで満足しようなんて浅はかな考えだったと。それからのこと、無理に背伸びしようとすることをやめて、美容と健康のために毎日ルイボスティーを飲んだり、時々青汁を飲むようにしている。

僕にとって毎日の楽しみは、お酒を飲むことよりも、日々自分自身と向き合ってアップデートさせていくこと。今日よりも、明日の自分をもっと好きになるために、自分自身の肌と精神と向き合う。毎日同じことの繰り返してうんざりするのはもう嫌だから、今日とは違う「私」で明日を生きていたい。

これから先、お酒を飲む機会は少なからずあるだろうとは思うけれど、決して無理をしようとせず、あくまでお酒はコミュニケーションを楽しむ一つとして見ていたい。

いつでも素直な自分であるために。心から笑顔でいるために。
無理をしない、ありのままの「私」として、これからは生きていく。

さよなら、昨日までの「私」。

そして、こんにちは。新しい「私」。

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