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古家から見る夕焼け

僕は築50年過ぎた古家に住んでいる。

25歳の時に一人暮らしを始めて、埼玉と神奈川のアパートに各5年くらいずつ住んだ。

そろそろ、別のところに住もうかと思い、アパートを探した。

家賃を高く出して豪華なマンションに住むのも、場所を変えて同じようなアパートに住むのもなんかちょっと違うと感じていた。何かもっと面白い、わくわくできるものはないだろうかと思っていた。

神奈川のとあるエリア。通りがかったときに古家が破格の値段で売りに出ていることに気づいた。こんな安く買えるのか、貯金でもなんとかいけるな、そんなことを考えた。

この地域は都心に通える距離ながら車も入れないような狭い坂が多く高齢化が進むにあたり空き家が増えているらしい。

それからしばらくして、いろいろ検討した後、僕はとある古家に引っ越した。少しのリフォームをして。

安さもあったが、眺めの良さと独特の居心地の良さがあったことが一番の決め手だった。

昭和のこじんまりとした一軒家だが、部屋にいるだけでなんかぬくもりを感じる。

リビングやベランダからの抜けた景色。前住んでいた方もきっと同じ景色を見ていたんだろう。

晴れた日の朝、青空の下の山々を見て気持ちいいな、今日も仕事がんばろうとか、秋の夕暮れ時に燃えるような赤がきれいだな、でもなんか見ているとちょっと切ないなとか、同じことを思ったんだろうか。

庭の木が花を咲かせたりしたとき、この木は何を思って植えたんだろう、と思ったり。そんなことを考えながら日々生活をすると、とても心が穏やかになった。

日本の住宅の歴史を調べてみると、昭和40年代頃からハウスメーカーが台頭して画一的な家づくりを始めたという。

僕の家は昭和30年代築でその流れに乗る前だったんだろう。地元の大工さんが、最初の住人の方といろいろなやり取りをして、手間暇かけて作ったんだろう。

屋根裏とか見ると土壁があったり、台所の棚の仕切りの木とか、ふすまの中の木枠とか、古いけど劣化することなく強度を保っていた。こだわって素材を吟味したのかな、そんなことを思った。

高度経済成長の中ではひとつひとつ丁寧に住居を作っている余裕はなかったんだろう。大手不動産会社のプロモーションで画一化した生活や住居のイメージを与えてみな同じような住居を欲しがるようにしたんだろう。

この価値観が固定化した平成の時代はその道から抜け出すようなものはないと皆信じ込んでいたんだろう。

最近は古民家を使ったカフェやゲストハウスが増えてきている。昭和・平成と時代を経てきて価値観が変わってきている。

令和の時代。空き家問題。少子高齢化。いろいろ問題はあるが、平成の時代と比べて、豪華さ・ステータス・画一化された世界ではなく、自分らしさや居心地の良さに重点が置かれ始めている。

ハウスメーカーが建てる前の古家については壊さず、うまくリノベーションして活用してほしい。時代を超えて、建てた人、住んだ人の想いがこもっている。

新築でそれを模してもけして作れない、かけがえのない居心地の良さがあるから。


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