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旅の記録/沖縄・久高島

今回は4年前(2019)の沖縄への旅の記録です。

2年前(2017)に母が亡くなり、この年、父が亡くなりました。
大した親孝行は出来なかったダメな息子ですが、両親を看取ることは出来ました。

なんとなく気が抜けた感じがし、ただのんびりしたくて大好きな沖縄に向かいました。

どこに旅しても何箇所も観光地を巡ったりはせず、基本のんびりする事と、美味しい地元のお酒と料理を楽しむ事がメインの私。

ただ沖縄には何度も訪れているので、今回はまだ訪れたことのない場所に行ってみようと思いました。

それが斎場御嶽(せーふぁうたき)と久高島。

そこに決めたのは旅の同行者の意見ですが(苦笑)

つまり、この二つの場所の場所柄や背景などを全く知らずに訪れたのです。

それがかえって良かったと思っています。

まずは斎場御嶽へ。

斎場御嶽の深い緑と青い海


森というよりまさにジャングル。でもとても癒されます。


ずっとここに居たいと思う場所。本当に空気が美しい。

三庫理(さんぐぅい)に向かう道中にいくつか拝所がありましたが、どこも美しい空気が流れていてとても気分が良かったです。ただ同時にピンと張りつめた空気も感じられ必要以上に近づく気にもならず、無意識に程よい距離感を保とうと思う、そんな場所でもありました。
季節(7月中旬)なのか色とりどりの蝶やトンボが舞っていてそれがまたとても素敵でした。

三庫理(さんぐぅい)から望む久高島。

実はこの記事を書くにあたり少し斎場御嶽のことを調べたのですが、現在はこの三庫理の中には立ち入ることが出来なくなっていました。
御嶽の石畳などの保護のためと、増加する観光客のマナーの問題などが原因のようです。

この時も感じていたし常々感じていることですが、この斎場御嶽だけでなくその他の神社などであっても、私は特別な信仰も持ってはいないし、その場所に対しての特別な想いもないことがほとんどです。
つまりそこでは私は完全な部外者であり、言い方は悪いですが、よそ者です。
そう、単なる一時的な訪問者です。
それはたとえ観光地と言われる場所であっても同じです。
これは事実です。

しかしそこには、その土地やその場所に生き、暮らし、深く繋がっている人達がいます。
これも事実です。

私はその土地や場所に一時(いっとき)訪れただけなのです。

私はいつもそのことを意識しています。

残念ながらこの当たり前だと思われることを理解していない人がやはりいるようです。
悲しいことです。

斎場御嶽、特に三庫理から久高島を望む眺めは言葉で表せないほど素晴らしいものでした。

それが現在は見ることが出来ない。

残念でなりません。

本当は久高島への訪問もこの記事に書くつもりでしたが、
斎場御嶽と三庫理の現状を知り、そのことに対する想いを書かずにはいられなくなり、思いの外長い記事になってしまいました。
ですので久高島の話は次回の投稿で!

ただ斎場御嶽は本当に素敵な場所でした。

最後まで読んでいただきありがとうございます!


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