「ようこそ、妖崎あやかし法律事務所へ」第21話
幕間三
「お風呂、ありがとうございました」
深夜。借りた浴衣を着て居間に戻ってきた優奈に、新は「おー」と覇気のない返事をした。相変わらず縁側に横になったまま、動く気配がない。
髪から滴る水をタオルで吹きながら、優奈は尋ねる。
「お風呂、入らないんですか? お湯、冷めちゃますよ?」
「俺は後でシャワーでも浴びるからいい」
「折角お湯張ったんですから入ればいいのに。ゆっくりしますよ」
きょとんとする優奈に、新は「お前なぁ」と呆れた様子で呟く。ごろりと半身で振り返って、
「これでも気を使ってるって気付け馬鹿。お前が入った後のお湯に俺が入っていいのかって言ってんだよ」
「えっ」
そう言われて、優奈は気付く。
「あっ、そ、そっか。そうですよね、いやそう言われると、ちょっと、遠慮して欲しいというか」
まさか新がそんなことを気にするなんて思わなかったから、優奈は思わずしどろもどろになる。冷めてきた頬のほてりが、また復活する。手でパタパタとあおくが、湿度を浴びた空気は蒸し暑くまったく効果がない。
そんな優奈をチラリと見て――
「ま、お前が折角勧めてくれてるんだ。若い女の残り湯を楽しむとするか」
「言い方!!!!」
本気でお風呂に向かいそうだったので、優奈は声を張り上げた。
「……全く……まぁ、構わないですけど」
顔を真っ赤にしたまま、それを誤魔化すように丹念に髪を拭いて、優奈は座卓の周りに座る。
虫の声はまだない。代わりに――庭の池に住んでいるのだろか。カエルの騒がしい声が聞こえた。
新はやっぱり、背を向けたままだった。
「……新さん、お願いがあるんです」
「あぁ?」
正座をして居住まいを正す優奈に、新はやっぱり、いつも通り不機嫌な返事をする。
優奈は、静かに言った。
「私を殺した犯人を、捕まえて下さい」
新は、ややあってから応えた。
「なんで俺が。帆理にでも頼め」
そこにはめんどくささも、不機嫌さもない。ただ平坦な返事だった。
その『なんで』に答えるのを、優奈は少しだけ躊躇った。
「だってあの時、『間に合わなかった』って言ってましたよね。私が襲われた時……何か知っていたから――何か事件の手がかりを知っていたから、そんなことを言ったんじゃないんですか?」
新は、黙っている。
「……悔しいんです」
優奈はぽつりと零した。
「私は新さんに助けてもらえて、こうしてまだ生きてます。でも、野々宮先生はもういない……敵討ちなんて大層なことを言うつもりはありません。でも、犯人はまだ捕まってなくて、報道では事件の被害者も増えています。放っておくなんて出来ません」
膝の上で拳を握り、言葉を振り絞る。その決死の覚悟めいた台詞に、新が何を思ったかは分からない。けれどしばらくして、めんどくさそうに、新は身体を起こした。
「俺があの場にいたのは……ある妖から頼まれたんだよ」
「頼まれた?」
片膝を立てたまま、ぐしゃぐしゃと頭を掻いて、新は溜息を吐く。尋ね返すと、「そ」と新は気負いなく言った。
「美咲優奈のストーカーが野々宮秀造を殺した。そいつが実は屍鬼事件の犯人で、このままじゃお前が危ないから助けてくれってな」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい!」
あまりにも何気なく発せられた情報に、優奈は思わず腰を浮かせた。半ば四つん這いの体勢で、新に詰め寄る。
「私……と、野々宮先生を殺した犯人が屍鬼事件の犯人? が、私のストーカー?」
ぐるぐると、一気に明かされた情報が脳内を回る。頭が整理できなかった。
「そう。野々宮はお前へのストーカー行為を止めるように警告して、逆上した犯人に殺されたんだ」
平然とする新の告白に、優奈は絶句する。
「そんな……野々宮先生が……私のせいで……」
「勘違いするなよ」
顔を青くしていく優奈を制したのは、新の鋭い一言だった。
「悪いのはお前たちを殺した犯人だ」
頬を叩かれたような、あるいは冷や水を浴びせられたような心地だった。
目が覚める。
そうだ。間違っちゃいけない。悪いのは被害者の優奈じゃない。
――犯人だ。
優奈は意を決して尋ねた。
「誰なんですか? 私たちを殺した犯人は」
思い出すのは、あの夜、優奈の血を啜っていた謎の人物。
おそらく、人間ではない。
そして人ならざるモノがこの世には存在していることを、優奈はもう知っている。
深く息を吸ってから、吐き出し、それから新は言った。
「犯人は真垣陽一――吸血鬼だ」
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