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「ようこそ、妖崎あやかし法律事務所へ」第22話

第四章 ヴァンパイア・ブラッド


「そっか、全部思い出したんだね……」

 日も昇った、翌午前。事務所の居間にて相対した優奈に、帆理はどこか困ったような、それでいてホッとしたような微笑を見せた。

 昨夜はもう遅く、電車もないことで事務所に一泊した優奈は、昨日と同じ服を着たまま、深々と頭を下げた。隣には、あぐらに頬杖を突いた新の姿がある。

「はい……その、色々とご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」

「いやいや、優奈ちゃんが謝ることなんて一つもないよ。吸血鬼になったのはこいつが勝手に血を分け与えたせいだし、それだって元を正せば優奈ちゃんを襲った真垣のせいだ。……そして真垣――屍鬼事件の犯人を捕まえられず、被害を拡大させた警察にも責任はある。本当、申し訳ない」

 表情に苦渋を滲ませて、帆理が畳に額を擦り付ける。優奈は慌てて身を乗り出す。

「あ、頭をあげてください。帆理さんのせいじゃありません……それに、事務所にしょっちゅう顔を出してもらって……あれって、私の様子を見に来てくれていたんでしょう? ありがとうございます」

 そう言えば帆理は顔を上げて、まいったなという頬を書く。

「本当に大丈夫? 事件のこと話しても。一通りの調査は済んでいるんだし、まだ思い出すのがつらいようなら、無理しなくてもいいんだよ」
「大丈夫です」

 なおも気遣ってくれる帆理に、優奈はしっかりと返事をする。

 新の暗示が解け、記憶を取り戻した優奈は、改めて帆理からの聞き取り調査を行うことになった。優奈が襲われた状況については新から、野々宮が死んだ状況については警察が、既に情報を取得している。だが優奈は、事件前にも真垣と相対し、被害に遭った張本人だ。そこに何か新しい発見があるかもしれないと期待してのことだった。

「それに私、これでも怒ってるんです。私を殺して、野々宮先生を殺して、たくさんの人を殺して――」

 テーブルの下で拳を握る。それに帆理が気付いたかは分からない。
 ただ帆理は静かに優奈を見て、

「……そっか」

 安堵の息を零すように、そうとだけ言った。
 帆理の顔つきが変わる。

「まず、一連の出来事は全て屍鬼事件と接点があるということを、念頭に置いてもらいたい」

 凛と表情を引き締め、帆理は話し始めた。

「始まりは今年の二月中旬。I県、C県、S県の三県の県境の林の中で、一人の女性の遺体が見つかったことだった。始めはただの死体遺棄事件かと思われたが、異様だったのは、被害者女性の遺体の様子だった。遺体からは、多量の血液が抜かれていたんだ。――それこそ空っぽになるくらいに」

 帆理は続けた。

「最初はただの猟奇事件かと思われた。けれど二件目――同じように、血が抜かれた遺体が見つかった」
「その死体が動いた」

 つまらなそうに話を聞く新の一言に、帆理は頷いた。

「死体の心臓は完全に止まっていたし、体温や呼吸、その他の状態をいくら見ても、死体と変わりなかった。けれどその死体はまるで生きているように……というのもおかしいかな。目の前に人を見つけると、まるで得物を目の前にした野犬のように牙を剥き出しにして襲ってきた……というのが、目の当たりにした刑事の報告だ。僕も、遺体を拘束した所轄でその様子は確認している」

屍鬼グールだな」
「ぐーる?」

 聞き慣れないその単語を、優奈は繰り返した。

「吸血鬼のなりそこないだ。吸血鬼化に失敗するとなる。動く死体だな」
「……吸血鬼化って、そんなに危ないものだったんです?」
「そりゃそうだ。人一人を別の生物に作り替えるんだ。失敗する時は失敗する」
「失敗する時は失敗するって……」

 さも当然。あっけらかんと言う新に、怒りを通り越していっそ呆れが湧き上がってくる。

「もし私が吸血鬼になれなかったら――」

 どうするつもりだったんですか。
 そう聞こうとして、口を噤む。
 その答えを、優奈はもう知っていた。

「……ともあれ、この件には人ならざるモノ――吸血鬼が関わっている可能性が高い。そこで僕に声がかかった」

 楠木家は代々、数多くの警察官を輩出してきた家だ。キャリア組と呼ばれるエリートも多く、縦社会である警察組織の中で、言い方は悪いが権力を持つ人も少なくない。

 一方で古くから、妖など人ならざるモノに関わってきた一面を持つ一族でもある。

 要は、警察の中の『人外担当』が楠木一族なのだ。

「報道制限はしてるんだけどねぇ……人の口に戸は立てられないというか、いつの間にか噂が広がって『屍鬼事件』なんて呼ばれて騒がれて、本当、こっちも大変だよ」

 帆理は腕を組んで、困ったように頭を掻く。

「三県で合同捜査本部が立ち上げられ、僕もそこに加わることになった。けれど手がかりもほとんどなく、被害者は増えるばかり……その矢先に、優奈ちゃん……野々宮法律事務所の一件が起こった」

 空気が強張る。
 優奈は知らず、背筋を伸ばした。

「野々宮さんの一件は、あまりにも異質だった。これまで無差別と思われた屍鬼事件――けれどここに来て、まるで事件の発覚を恐れるような、それこそ普通の殺人事件のような偽装工作が行われた」
「倒産の貼り紙の件ですね」

 帆理が頷く。

「時系列を追って話そう。まず四月二十九日、土曜日――祝日だった昭和の日から、翌三十日の日曜日にかけて、野々宮さんは何者かに殺された。現時点で、この犯人はハッキリしていない。五月一日から五月二日は、優奈ちゃんは有給休暇を取っていて、出勤せず。そしてこの二日間、来客もなかった。事務所の入り口は二階建てビルの二階にあって、扉の前を通った人も居ない。つまり、貼り紙に気付いたものはいなかった。事態が動いたのは、GW明け――五月八日だった」

 記憶と相違はない。そのことを示すように、優奈は首肯した。

「この日、出勤して貼り紙に気付いた優奈ちゃんは、連絡が取れないことを怪しんで最終的に野々宮さんの自宅を訪れる」
「そこで私が大家さんに連絡して、野々宮先生が行方不明ということが警察に伝わる」
「ほぼ時同じくして、俺の所に妖から例のたれこみが来る」

 帆理、優奈、新の順に、それぞれ説明を繋ぐ。

「……しかし結果として間に合わず、優奈ちゃんは真垣に襲われる。ただし、ここで注意しなくちゃ行けないのは、『犯人が真垣』という情報は新のところへ来た妖がもたらしたものであり、優奈ちゃんも新も犯人の顔は見ていない。つまり証言の裏付けが出来ない」

 帆理の表情が微かに曇る。だがその口が閉ざされることはなかった。

「野々宮さんの方で進展があったのは、翌朝だった。事務所のあるI県警が、時峰川の河川敷沿いで野々宮先生の車を見つけた。トランクの中には野々宮さんの遺体があり――身体中の血を抜かれていた。……遺体が動くことはなかったけれど」

 野々宮の遺体の状況は、優奈も確認しているから分かる。葬儀にも出た。死に顔が苦しみに満ちたものではなかったことだけが、救いだ。

「その後の捜査で、野々宮さんの事務所からは彼の血痕が見つかっている。争った形跡はないが、事務所が犯行現場である可能性が高いそうだ」

 つまり野々宮は事務所で殺され、その後、河川敷に死体を息したということだ。

「それ以降の被害者は、六月二十二日木曜日の未明に見つかった男性が一人。七月七日、金曜日――昨日の夕方に
、同じく時峰川の河川敷で見つかった女性が一人。こっちは死体が動いて、ランニング中の男性を襲うという二次被害が発生している。……最悪だ」

 帆理が思い息を吐く。

「屍鬼事件の被害者は全部で八人。まとめると、こうなる」

 帆理は私物らしい手帳を取り出し、スマホで資料を確認しながら、紙面に表を書き始めた。

 手書きにしては綺麗でシュッとした表が書き上がる。
 完成したそれを覗き込んでいた優奈は、思わず口を開いた。

「……こうして見ると、屍鬼になってるのは女性ばかりなんですね。吸血鬼化って男女で差があったりするんですか?」
「ない」

 振り返って見た新はキッパリと言い切った。

「女が多いのは真垣の趣味だろ。女を侍らせたい願望でもあるんじゃないのか? ……でもそうすると、被害者に男が交じってるのも違和感があるな」

 何か気付いたことがあるのか、口元に手を当てて新が考え込む。

「肝心の真垣だけど」

 帆理が言った。優奈は視線を戻す。

「五月八日――事件発覚の朝に事務所を訪れていたとして、一度署の方で取り調べをしている。ただ野々宮さんが殺害されたとされる、四月最後の土日のアリバイは半々だ。二十九日はアリバイなし。三十日は奥さんの綾子さんと一日中出かけている。これは映画の半券や、立ち寄った店の店員からの証言がある。美人な奥さんだからよく覚えている、と」

「……犯行も可能だけど、確証もないってことですね」

「そうだね。その後は屍鬼事件の重要参考人として尾行を付けているけど――これもアリバイがあったりなかったり。目立って怪しい行動は、今のところない……強いて言うなら、何度か捜査員が真垣を見失ってる点かな。ただこれに関しては、いずれも人通りの多いところでのことのため、真垣が尾行に気付いて捜査員を撒いているとは断定できないんだ」

「うーん……」
 完全にアリバイがないのも、あるいはその逆であるのも怪しい。中途半端なところが、妙にリアリティがあった。

 思考を巡らせてみるが、何か助言できそうなことが見つからない。優奈はただの一般人だし、こういった事件に遭遇するのも初めてだった。

「――というのが現状なんだけど、どうだろう。優奈ちゃんから見た真垣について、良ければ聞かせて欲しい。特に、真垣は優奈ちゃんにストーカー行為をしていたというし……優奈ちゃんは気付かなかったの?」
「え、えーと……」

 突然話の矛先を変えられ、優奈は慌てて記憶を掘り起こす。
 しかし――

「その、付きまとわれたり、郵便物を抜かれたりみたいなことは特になかったので、ストーカーと言われてもピンとは……その、正直、誰かに付けられているかな、みたいなのは、昔から何回かあったので、実被害がない限りあまり気にしても仕方ない精神だったので……」

「……お前、案外豪胆だよな」
「褒めてるんですか貶してるんですか」
「どっちも」

 嘆息交じりの新の一言に、優奈は思わず噛みついてしまう。
 機を取り直して、優奈は帆理に向き直った。

「多分、警察の方でも調べは付いてると思うんですけど……真垣さんは最初、うちに離婚の依頼をしに来たんです。奥さんが浮気をしたとかで。ただ調停離婚ではなく、協議離婚を望んでました。奥さんにも何度かお会いして、話をして。でも、その依頼もある時突然、『妻と和解したから取り下げたい』と言ってきたんです」

「時期は、依頼申し込みが一月の年明けすぐと、取り下げが二月上旬で間違いない?」

「合ってます」
「二月か……」

 それは、屍鬼事件が始まった月でもある。気になるのだろう。
 難しい顔をする帆理に、優奈はとりあえず話を続けた。

「以降はその縁で、真垣さんの会社の顧問弁護士をお願いされてたんですよね。なので、一ヶ月に一回、多い時は二回ぐらい挨拶に来ていました。なんでも、野々宮先生とお酒の話で意気投合したようで、よくワインを持ってきていました」

「真垣の様子は覚えてる? 最初に依頼に来た時とか、取り下げに来た時とか、その後でも構わない」
「うーん……」

 優奈は考え込む。

「落ち着いた人だな、とは思いました。離婚依頼は私も何度か携わったことあるんですけど、結構感情的になってる依頼者の方が多くて。真垣さんは最初から淡々とした感じでした。あ、でも取り下げに来た時は、妙にスッキリした感じでした」

「スッキリ?」
「はい。スッキリというか、晴れやかというか、なんか幸せそうな感じでした」

 何か気になったのだろうか。それきり帆理は黙り込んでしまった。
 質問は隣から飛んできた。

「お前、真垣に気に入られるようなこと、したのか?」
「してないですよ。普通にお茶出したり世間話したりぐらいの、一般的な接客対応しかしてません。……多分」
「多分って、お前なぁ……」

 盛大な嘆息が吐き出される。

「お前……どーせいつも通りニコニコニコニコ愛想笑い振りまいてたんだろ」

「愛想笑いって何ですか。お客さんに仏頂面で接するわけないじゃないですか」

「そーいう無駄な愛想が変態に勘違いさせる原因になるんだよ。どーせ、過去のことだって外面の良さのせいだろ。お前、見た目は小さくて可憐な女の子~見たいに見えるんだから。だから変なの引っかけるんだよ。二十六歳にもなって。もっと大人っぽくしろ、童顔」

「どっ……! 似合うならそういう格好してます!」

「まぁまぁ、どうどう」

 一触即発。剣呑な空気に、帆理が間に入り、場を収めようとする。

「あっ、ゆ、優奈ちゃん、お茶! お茶のお変わり貰っても良いかな? 一気に喋ったから喉渇いちゃって。ね?」

 頬に汗を垂らしながら、帆理が微笑む。その焦りつつもキラキラした笑みを傍らに、今にも噛みつきそうな様子で睨み合いを続けること――数秒。ふんっと優奈は鼻を鳴らし、新からそっぽを向いて立ち上がった。

 その背に、呑気に話しかける者が一人。

「ユウ、俺もコーヒーおかわりなー」

 絶対熱湯で淹れてやると、優奈は決意した。

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