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性的多様性(SOGI)の話 #藤原note30日間チャレンジ vol.05

こんにちは。

現在 #藤原note30日間チャレンジ というものに挑戦中の、藤原雅樹です。詳細はこちら。

ありがたいことに、色んな方から色んな声を頂き、その度に温かい気持ちになりながら文章を書かせてもらってます。すごく幸せです。ありがとう皆さん。

僕のことを初めて見たよ、なんて人はまず、自己紹介を読んでみてください。もし読んで頂いて興味が湧きましたら、Twitterのアカウントをフォローしてくれると喜びます。


キッカケ

さて、フリーテーマで書いてきたこのチャレンジ。

今回は、タイトルのように性的多様性(SOGI)についての話です。キッカケはある1つのツイートでした。そのツイートにある動画を観て、やり場のない怒りがこみ上げてきたので、noteに書くことにしました。

主にネット界隈で、反感を買い漁っている、杉田 水脈(すぎた みお)さん。

この動画を観ていただいたらわかるのですが

LGBTのように生産性のない人たちは支援する必要がない

という発言が物議を醸しております。僕はこの動画を観て、はっきりとした不快感を示す必要があるなと感じました。なので、ここに僕の性的多様性に対する見解を述べようかと思います。

また、シンプルに怒りの感情があるので、多少表現が荒くなる可能性があります。なるべく柔らかく表現するつもりですが、ご容赦ください。

それと、先に断っておくと、このnote内ではLGBTという表現はせず、意味を広げて性的多様性と表現します。

さらにさらに、今回のnoteは画像とかリンクとかが少なめなので、読みにくいかもしれません。でもどうしても伝えたいことだったので、そちらもご理解ください。


僕が感じた最大の違和感

動画内で某氏は

LGBTの人は異常で、性自認と性指向が異なる人間こそ通常。

なる発言をしています。

が、ここで問いたいのは、そもそも通常とか異常ってどこからきた認識・価値観なのでしょうか。まさか、多数派だから通常なんて言わないですよね?

自分はマジョリティだから通常、あいつはマイノリティだから異常。

こんな枠組みで語る人間が、選挙で当選して、現在国を運営する立場にあること自体が不快です。人間自身、他者のことはもちろん自分でさえ、”正しさ”なんて分かりっこないのに・・・。

自分は通常。だから異常者に好きなだけ石を投げていい。なんてむちゃくちゃな話が通るわけないでしょう。あまりに横暴、傲慢、不勉強。早く辞任していただきたいです。


大事なのは姿勢

とはいえ、多数を占める、いわゆるマジョリティは、真の意味でマイノリティを理解することは難しいと僕は思っています。飽くまで現時点ですが、僕の性自認は男性性で、性指向は女性性です。

これが21年間特に変化したこともないのに、他の性に関する価値観が分かるはずもないですよね。だからこそ大事なのは歩み寄りの姿勢だと思っています。

分からないからと言って諦めるわけではない。理解はできなくてもいい。互いの価値観が折り合いのつくところで互いに落ち着けば良い。そこに優劣なんて存在しないし、しちゃいけない。

性指向をはじめとする価値観は個々人に属するもので、人間の数だけ存在します。男性が好き、女性が好き、と言った二元論だけでは決して語れない世界なのですよ。白と黒じゃなくて、そこにあるのはコントラストを持ったグレーのみなんです。

互いに理解できなくても、理解をしようとする。互いに受け入れようとする。互いに許そうとする。たとえ叶わなくても、そういう姿勢を持つことが必要なのではないでしょうか。

また、姿勢を持つことと同じくらい大事なのは、興味・関心を持たないということだと思います。先に述べたように、人間の価値観は人間の数だけあるので、どうしても受け入れ難いものもあるでしょう。

そんな時に、距離を置くということができるかどうか。

これはインターネットがここまで発達した現代ですごく重要な能力のように思います。僕はTwitter廃人なのですが、これができない人が多いように感じます。

自分が気に入らない価値観があったら、さっさとそれを見ずに、自分が良いと思う価値観の人と一緒にいた方が楽しいし、某氏が言う生産性も上がるのでは?と思いますね。


なんでこんなことを書くのか

上で書いたことと、このnoteを書くこと、矛盾しているように見えませんか?

距離を置けって言いながら、お前は噛み付いとるやんけ!距離置けてないやん!そこんとこどないやねん!

なんて声が聞こえてきそうです。

僕と杉田氏の間で1つ、決定的に違うことは自分のことを正しいと思っているかどうかです。そもそも僕は正しいという言葉があまり好きではありません。

某氏は自分の性指向こそ通常で、それ以外、某氏の表現で言うとLGBTは異常である、と言っているのですが、僕は自分が通常とも正義とも多数派とも思いません。

このnoteの目的は、意見表明および問題提起です。怒りがあるのは事実ですが、攻撃の意図はありません。

この問題に関してワシはこう思うけど、君たちはどうよ?

と言っているのに過ぎません。なので、この話題に関して共感いただけなければ、スルーしてもらったらそれで大丈夫です。こんな意見あるよ、なんて人がいたら言ってきてくださいね。

他者を攻撃できる人は、正義という鎧を装備している人だけです。僕は正義の味方ではないし、強い人間でもないので、自分は正しいなんて顔して他者に石を投げることなんてできないです。


無理解の姿勢に対する恐怖

先日、こんなことがありました。

電車内で耳に入った、同年代の人たとがしていた会話。

こういう場面に出くわすと、どうしたって悲しくなってしまうんです。

この人たちも自分たちが多数派で、自分たちが正しいと思っているのかな。

みたいなことを想像してしまいます。

「LGBT」という言葉ばかりが先行して、本当に尊重すべき考え方や価値観が共有されていないように感じます。

こういうツイートの真偽はおいといて、やっぱりどこにでもいるんですよね、そういう人。

僕は、今は過渡期だと思っています。人類が性への価値観をアップデートする過渡期だと。だから、他人の性指向を攻撃する人に出会ったら、立ち向かっていきたいです。


少しだけ未来の話

さて、世界中では、同性婚をはじめとした法律が制定されてきて、どんどん多様な世の中にアップデートされていく感覚はあります。

よくこんな話題になると

日本は世界に向けて遅れている!

なんて言う人がいます。確かに他人の性指向に対する価値観、つまり先に述べたような距離を置くスキルで言えば少し遅れてるかもしれません。

ただ、法律や制度に関して言えば、また正解のない世界。遅れているのも進んでいるのもありません。


少し先の話をしましょう。この世界にデジタル国家なるものが多数存在するようになり、気に入ったデジタル国家に税金を払い国民になる選択ができるようになります。

詳しい話はまた別のnoteで書こうと思います。気になる人は「デジタル国家 エストニア」とかでググってください。あえて一言で言うと、住んでいる場所に関係なく色んな価値を享受できるようになる、ということです。

だから、日本とかアメリカとか、そういう既存の国家という枠組みに縛られなくなる未来はすぐそこです。それを今更、各国家の法律が遅れているとか進んでいるとかいう議論は不毛なんですよ。

それよりも価値観をアップデートする方がずっと大事なんです。いつまで近代的な、白か黒かの二元論に縛られてるんですか。早くコントラストを愛でることができるようになりましょう。


最後に

事実誤認がないかどうかを確認するためにもう一度動画を観て、改めて不快な気持ちになってしまいました。

感情に任せてこんなnoteを書いてしまったことも、少し恥ずかしい気持ちにもなりました。でも、やっぱり自分の意見を述べる必要はあるなと感じたので書きました。

意見・反論は大歓迎です。ぜひ僕のTwitterとか、コメントとかに連絡ください。ついでに、スキとか押していただいたり、サポートなんてしてもらった日には、もうどうなってしまうか分からないくらい喜びます。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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