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【仕事と子育て】伝統的〇〇を安易に信じるリスク

このタイトルは仕事とプライベートどちらにも言えることでずっと思っていることなんです。
長い文章を読んでもらいたくないので具体例を挙げます。
まずは仕事に関して。

私は『仏壇及び木製品の製造販売』を生業としているので、古い仏壇や家具などを処分してほしいという依頼をこれまで数百受けています。
あくまで、仏壇や家具において『古い伝統技術』を守った製品で現代の技術よりも実用的で合理的だと思った製品は1%くらいです。
耐久性、製造効率、実用性、どれにおいても劣勢です。
これを好むということはつまり『昔から』というブランディングの刷り込みに飲まれてしまっている可能性が高いです。

プライベートにおいても特に子育てにおいて、『苦労した方が良い』という概念は何の意味があるのか説明出来る人はいるのでしょうか。
便利なものを利用した上で努力する意味はあると思いますが、便利なものを使用した時点で『楽をしている』『怠けている』ように見えるからダメというのはいわゆる老害に過ぎません。

『こうでなくてはならない』という思い込みは様々な対象を叩きます。
良い仕事。良い父親。良い母親。
仕事に関してはお客様。
親に関しては子供。
それでは、対象であるお客さまや子供にとって本当に意味のあるこだわりなのか。
それがもっとも大切だと思います。

仕事に関してはお客様により様々な要望があります。
納期なのか、サイズなのか、形なのか。
それを認識することが最も大切。

親としては子供によって様々な要望があります。
これは一択で『愛情を感じるか』集約するとコレだと思います。

この個々の要望がある中で「これが正しい。なぜなら昔からこうだから。」という安易な考えは思考を停止し、結果的に対象に不満を残す可能性がとても高いと思っています。

仕事に関して、私は様々なお客様のご要望を知っているので、それに応えるために『納期を伸ばして頂きたい』『金額は据え置きでこの仕様をもっと良いものに変更したい』という要望を私のワガママで伝えることがあります。

子供に関して、様々な要望を知っている上で『昨日がんばりすぎたから寝坊します。』とか『今日は忙しすぎたから栄養バランスちょっと無視して冷食に頼ります。』というワガママを貫くことがあります。

私はこれで良いと思っています。
私の活動限界を尽くして対応した結果だからです。
無駄な努力は極力しないように努めていて、その結果だから許してほしいと思っており、それによって各々に還元されるメリットがあると知っているからです。
双方の共通点があります。
どちらも自身が最重要と思う最低限のサービスを提供しているということです。
簡単な言葉で言うとコスパが良い。
コスパって楽をすることでは無いですよ。
コスパがいいっていうのは無駄を省きより多くのメリットを得るということです。

そうそう、今日はとても疲れていて家事をした後ぐったりとしていました。
妻が『とっと倒れちゃったよー』と何気に言いました。
3才児のスヤ太が『とっと居なくなったら寂しい。とっと死なない?』
私『とっとも寂しいの嫌だから死なないよ!』
スヤ太『かっかもばぁばも死なない?』
私『みんな元気だよ!』
スヤ太『一緒にアソボーぜぃ!』
ふぅ、良かった。

そう、結局は心が元気なのが大切。

お客様に関しても同じ。
不安にさせないことが大切。

月並みな表現になってしまうけれど『愛情』という日本人特有なのかもしれない気遣いみたいな配慮がコネクションを強くしているような気がします。
島国独特の同調圧力を全否定しない自分がいて、『意味のあるおせっかい』は存在するのではないかと思います。

それを『愛情』とか『配慮』と感じられる内は『三方ヨシ』を実現できるのではないかと思います。
近江商人の言葉。
そういえば妻は滋賀県出身です。
うーん、結局は根本が似ているということか。
妻とは毎日バチバチやっていますけど。

お互いに『はいはい』で大概ながれる関係性です。
いや、大切なことは互いにキチンと言いますけど。

長くならないうちに止めます。
それではまた。


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