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指輪依存症

 なんかテレビのラブコメドラマ広告をつぶさに見ると、ある共通点が浮かんでくる。それは、
「愛の節目」
といっても過言ではなさそうだ。
 もうあれだけ愛だの恋だの結婚だの吹聴されると未婚の身が恨めしく思えてくる。よく、以前乗っていたツインエアのパンダみたいにエンジン音の大きい自家用車に慣れると騒音も気にならなくなるが、車の運転と違って恋愛や結婚はひとりで完結するものでないから始末に悪い。未婚者にとって苦痛になるか焦らされるかの一択なのだ。
 かりそめにも私は男性であり、女性には関心を持っている。いい人がそばにくると、いつもながら左手の薬指に目が行く。周知のように、中世ヨーロッパ以来薬指には愛の血管があるのでそこに指輪をするという「迷信」がいつか一般常識にすり替わったのだ。それは未婚者にはたまらなく悩ましい禁猟区の看板でもある。
 彼女たちにはそこまで追い詰めたい欲求があるのかどうかわからないけど、嫌な慣習だと思う。最近ではマウントをとるという表現がある。常に自尊心を満足させる欲求に飢えているのだ。別名を付けるならさしづめ、
「指輪依存症」
なのだろう。愛されている、パートナーがいる、だけでは満たされない心の飢えが透けて見える。それは外部にも、指輪を左手の薬指につけるという形で現れているのではないか。
 電車待ちで周りにいない時、すぐ隣に立ってきた女性がいる。乗ってからさりげなく手元を見ると案の定、指輪てある。うらわかい乙女や未婚女性には男は避ける対象でしかない。既婚者に至るまでのあいだに少女は女になる。その変貌のプロセスにいつまでも立ち会えない自分が不甲斐ないです気づくとこの歳である。
 思えば家柄や収入の違いでお見合いパーティーから先へ進めなかった自分がいた。一度ではない。しかも交際以前で破談の繰り返しなのだった。私にとっては遊びではなく真剣なことなので傷も深い。恋愛関係以前の女友達で終わったこともある。決して好きこのんでこの現在ではない。
 それゆえに指輪に対して私は一種独特の感情を禁じ得ない。

2024/02/28 ここまで

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