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2024/04/26 ホッとした

 おはようございます🙏

 今日は、少しはいい話ができるかもしれません。
 先日のXのトレンドで、
電車の中で隣に女子高生が座ってきたら
という内容の話題が転がっていました。

「おばちゃんが守ってあげるで安心しな、どんどん使ってやってくれな!」

たったそれだけのポストがトップになっていました。

 そういえば6年前に長野から小諸までしなの鉄道の各駅停車で移動した時のことです。
 地元の女子高生がひとり、ボックスシートに向かい合って座ってきました。座っていいですかと。
 五十のおじさん(わたし)のそばにくるとはどういう風の吹き回しだったのか?
 特に話をするでもなく、車窓や携帯電話画面で場を紛らわせている間に彼女は上田で降りていきます。

 まあ、おじさんという自覚がわたしには足りなかったらしく、目のやり場に困っていましたね。自分に子どもがいればそれくらいの歳なのに、何か勘違いしたようでした。

 この勘違いで苦しめてしまった相手もいます。冒頭の話にあるように、

《おじさんが盾になってあげるから変な男を心配しないでいいよ、いくらでも使い倒してくれな!》

という関係性だったのかもしれないです。

 そのおばさんのポストに出会って以来、人混みでも息をつくのが楽になりました。
 わたしは先代の雌の柴犬を思い出します。一回、ブリーダーさんのところで交尾に失敗して以来、子宮蓄膿症の手術から回復するまで、先代は想像妊娠はとけなかったのです。
 その間、彼女(飼い犬の柴)には苦しい思いをさせてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 わたしを含めて男性は女性よりも「節目」の意識に乏しくて、いつまでも若い気でいたりします。こんな勘違いした男性をみて、おばちゃんたちもさすがに「困った」と思うでしょう。先代の柴犬にも申し訳ないな、と。

 老いの自覚が足りない男たちほど始末に悪いのもないでしょう。
 未婚であれ既婚であれ、老いは平等に訪れます。その自覚とは、ある意味安心していいことでしょう。

2024/04/26 ここまで

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