11月16日は幼稚園記念日です。

  1875(明治8)年11月16日、東京の御茶ノ水(湯島1丁目)に東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)が開校し、その翌年の1876(明治9)年の11月16日、東京女子師範学校の構内に附属幼稚園が開園、これが日本初の幼稚園です。
  入園したのは当時の上流家庭の幼児50人ほどでしたから、多くの農村や漁村、林業などの1次産業としている土地ではまだ子供は労働力とみなされていたようです。NHKの朝ドラでは古い方ですが世界を一周し感動の旋風を巻き起こした“おしん”を見れば、日本の幼児教育の普及は都市化の進行とともに普及していったのではないでしょうか? 

  私が、帰郷して図書館近くの公園でジュースを飲んでいるとどこかで見かけた園バスが到着した。側面には私が卒園した幼稚園の名前が書いてあったが、驚いたのは県境をまたぎ園児を送迎している事だった。私がその幼稚園にいた頃に登園するには徒歩か園バスだったがせいぜい市内の3分の1ほどを巡回するくらいだったと思う。
  時代は変わった。2世帯住宅への改築が進んだ戸建てのベットタウンの園児を集めるためだろうか? 園バスが県境をまたいでいるとは思いもよらなかった。いや、それくらいのサービスをしないと園児を確保し、園を運営していくのが難しいというのが現実なのだろう。でも、卒園した幼稚園が残っているのは嬉しかった。高校の方は統廃合で平成の半ばを待たず廃校となって久しい(まあ、交通の便が最悪(最寄り駅からのバスも出ていなかった)だった事もある)。

  でも、この園バスには苦い思い出もある。私が園庭で熱中症となり、しゃがみこんでいると口達者でおせっかいな女の子が私の異常に気付き自分の乗る園バスまで連れて行ったのだが、園バスの補助者の幼稚園教論が同じ園バスに乗る園児を連れてきたと勘違いした。女の子がさえずるように事情を説明していたようだが、幼稚園教論は焦っていたのか、女の子の説明を無視し、乗車人数が合ったと思い込んで私を乗車、着席させた。でも、当の本人は熱中症で言葉が出ず、ぐったりしており、最後、私一人だけとなり、ようやく自分のミスに気が付いたが、当の本人は熱中症でグッタリしており急いで園に取って返したらしい、自転車にも乗せられないくらいぐったりしているのに驚き、急いで母が抱っこひもをもって現れ、そのまま病院へ行ったと母に成人後、聴かされた。翌日になり、園長先生と私を乗車させた幼稚園教論が自宅に来たが、なぜ来たのかも、その話を聞いてようやく合点がいった。その後、10回以上熱中症で倒れ、消化器疾患で8回入院したが、運よく命がある。

  ところでこれを読んでいる皆さんは、保育園と幼稚園いずれかを卒園していると思われるが、どちらが歴史があると思われるだろうか? 
  それは保育園の方。
  世界初の保育園が出来たのは、1779年にフランスで誕生した「幼児保護所」という施設から、保育園の歴史がはじまりました。
創設者はドイツ人牧師のヨハン・フリードリヒ・オーベルラン(1740-1826)。フランスの町・ヴァルターズバッハの地区開発をするにあたり、町の幼児、少年、成人を対象にした「編物学校」を設立しました。
その中の5歳までの子どもに向けたクラスが「幼児保護所」であり、これが今でいう所の保育園です。
当時の農村では子どもも労働力とされ、子どもらしくすこやかに育っていくことが難しい環境でしたが、これを改善するため、オーベルランは子どもたちに聖書の話や自然の観察、フランス語やアルファベットの語学教育、編み物などの職業能力訓練、教養を得る機会を与えて健全な社会を作ることを目指しました。
そんなオーベルランの教育理念は、「子供に対しては厳しすぎず、常に優しい好意を持って、しかし侮る(あなどる)ことなしに」というもの。
現代の幼児からリカレント教育にも通ずる素晴らしい考え方だと言えますし、また、オーベルランの教育理念に共感し、後に続く人を輩出し、世界に広げたのも素晴らしい功績だと私は思います。

更新が滞り申し訳ありませんでした。
働きながらの文芸作家時々エッセイスト志望も大変だと思い知らされました。

次回は、11月30日に更新します。

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