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師走である

年を取ることでやっかいなのは、自分がその年齢に追いついていない。あるいは追いつけないという違和感から逃れられないことかなと思う。

それは日々感じることではなく、時折、突きつけられるような感じ。

例えばベルリンの壁崩壊から30年とか、ソ連が無くなってから28年とか、その過ぎ去った時間にリアリティがない。

海外の経験もそうで、以前、パリに行ったのが28年前だとか、そういえばフランを持っていったなぁ、待てよ、ユーロができて20年なのか、とか。

タバコをやめたのが18年前、その年はイチローがMLBでデビューを果たし、同時多発テロが起こった年だった。つい最近までタバコを吸っていた気がしたのになぁ、とか。

これまで、私って何をしていたのかと考えると、広い砂漠のようなところに置き去りにされているような気持ちになってしまう。

今年も、とある冬の日に逝ってしまった、かけがいのない友だちの墓に、仲間たちとお参りに行ったのだが、お寺のお坊さんによると、七回忌の法要をしたとのこと。墓誌には、彼の行年が書かれていて、一浪だった彼を私はあっという間に追い越しただけでなく、彼がいかに早く死んでしまったのかということを再確認して、これまた呆然としたのである。

仲間たちと偲ぶ会と忘年会がごっちゃになった会でしこたま飲んで、帰るとまだ生まれて4ヶ月と少しの娘の子供が来ていたのだが、眠っているのでがさごそと音を立てるわけにも行かず、締めの一杯はあきらめて、色んな思いを飲み込んで布団に潜り込んだ。

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