ほんまつ としゆき

某全国紙広告マン→映像制作会社プロデューサー→某金融系情報ベンダーメディアプロデューサ…

ほんまつ としゆき

某全国紙広告マン→映像制作会社プロデューサー→某金融系情報ベンダーメディアプロデューサー→フリーランスライター→某グローバルな通信社コンテンツディレクター→フリーランスライター→某メディア&編集プロダクションディレクター。第1回東京マラソン完走者。AFP。などなど。

最近の記事

やれやれ

最近、窮屈だなと感じることが多い。 自分の手に負えないものが多くなりすぎていることが原因の一つなのだろう。 これは私の情報感度が上がったということではなく、入り込んでくる情報が加速度的に増えているからだと思う。 もちろんインターネットの普及や、SNSの隆盛もあるのだろう。それからデジタル化の進展も。 そうした流れの中で、旗幟を鮮明にすることが求められている気がする、具体的にだれかから、というわけではなく、一種の強迫観念だ。 自分自身は脇は甘い、感情に流されやすい、おおむね

    • 日本手酌振興会というものについて

      お酒を自分のペースで飲みたいのに、やさしい先輩が「まっ、一杯やりなよ」、あるいは後輩が「どうぞどうぞ」などといいながら・・・。そうしてお酌をされることがどうも好きでなかった。 「私、日本手酌振興会の会長で」と言ってみたら、意外とウケた。 そんな思い出があったので、2012年4月に日本手酌振興会というページをFaceBookに作ってみた。 https://www.facebook.com/profile.php?id=100046443355728 もともとずぼらな私なので、ほ

      • 2019年の師走に

        年を取ることでやっかいなのは、自分がその年齢に追いついていない。あるいは追いつけないという違和感から逃れられないことかなと思う。 それは日々感じることではなく、時折、突きつけられるような感じ。 例えばベルリンの壁崩壊から30年とか、ソ連が無くなってから28年とか、その過ぎ去った時間にリアリティがない。 海外の経験もそうで、以前、パリに行ったのが28年前だとか、そういえばフランを持っていったなぁ、待てよ、ユーロができて20年なのか、とか。 タバコをやめたのが18年前、そ

        • 「表とうらとそのあいだ」

          勤務先の仕事で少し関わった書籍が刷り上って来た。 奥付けで印刷所を確認したらどこかで聞いたことのある名前。調べたらその会社はオンラインの書店もやっていて、私の書いた電子書籍を販売していたところだということに気づいた。検索したら、その本は引き続き販売中だった。 もともとは、仕事で付き合いのある方が独立して起業、打ち合わせをしていた時に電子書籍を作りたいんだけど、コンテンツはありませんかね、と相談されたのがきっかけだった。ちょっと考えていたものがあったのでお見せしたら、ぜひ、と

          どうでもよいんだけど はるか昔のようにも感じる東京五輪の話

          去年の7月に書いていた東京五輪の話。 アップするのを忘れていた。 東京五輪が7月23日に開幕した。1年延期、無観客、新型コロナウイルスの感染拡大で東京都が緊急事態宣言を出す中での異例の開催となった。開催をめぐり国民の世論は割れたが、開幕してテレビが連日、日本選手の活躍を報じる中でムードは変わりつつある。反対の態度を表明していた人が活躍に拍手を送ると、賛成派からは批判の声があがるなど、まったくもって、最近の世相を反映するような事態にもなっている。 私自身は以前から五輪の競技

          どうでもよいんだけど はるか昔のようにも感じる東京五輪の話

          猪木が亡くなった、でプロレスについて思うところを。

          日本プロレスから猪木が飛び出して新日本プロレスを作った。その後、すぐに馬場さんが作った団体の名前を「全日本プロレスだって」と父親に教わった。そのあたりの話は、あちらこちらでおなか一杯になるくらい読んだ。どれがほんとかは、わからないけど。 日本プロレスの分裂前、ぼくたち、子どもたちの多くは猪木派だった。スピードあふれる猪木。コブラツイスト、卍固め(これは「開発途中」のビデオが中継の時に放映されたことを覚えてる)、そして観客へのアピールが多くのファンに支持された猪木。馬場さんは

          猪木が亡くなった、でプロレスについて思うところを。

          政治家の仕事

          コロナウイルスの感染拡大。 病床のひっ迫。 それで医療崩壊。 現場がたいへんなことになっている。 医療従事者が命を削っている。 現場でやれることにはもちろん限界がある。 そこまでは、理解している。 なのに、この一年、ずっと同じことのくりかえし。 手も洗っている。 マスクもしている。 ずっとリモートだ。 好きな酒も外では飲んでいない。 あれこれしたり顔で、政治家が要請したりお願いしたりするけど、 彼らはどこかおかしいな。 感染者が増える。 病床がひっ迫する。 要請する

          彼の国の選挙

          1990年代の前半、仕事でアメリカの南部3州を2週間ほどかけて回ったことがある。 と言っても、それぞれの州政府で広報を務める人や、州政府から委嘱された現地のコーディネーターが運転する車に乗って、主にこちらが行きたい場所、それに加えてそれぞれが紹介したい場所に連れて行ってもらうのではあったが。 当時、確か大統領共和党予備選の候補だった、KKKの幹部と言われていたデュークという人が注目されていて、日本でも話題になっていた。 移動中も、彼の顔写真を載せた看板があちこちで目について

          「俺は今、未来にいる」と思ったウォークマン

          新型コロナ騒ぎでジム通いが怖くなり、有酸素系の代替トレーニングで週イチ、ジョギングをしている。 「Runkeeper」というスマホアプリが、節目の距離や時間がくると音声でスプリットタイムを教えてくれる。それを確認するためイヤホンを装着するので、それならばと音楽を聴きながら走っている。聴きながら走りながら、時々思い出すのは、人生の中で「俺は今、未来にいる」と感じた瞬間のこと。 そんなことはあの時だけだった気がする。 ぼくは若い頃から、音楽談義に参加するようなタイプではなく、

          「俺は今、未来にいる」と思ったウォークマン

          師走である

          年を取ることでやっかいなのは、自分がその年齢に追いついていない。あるいは追いつけないという違和感から逃れられないことかなと思う。 それは日々感じることではなく、時折、突きつけられるような感じ。 例えばベルリンの壁崩壊から30年とか、ソ連が無くなってから28年とか、その過ぎ去った時間にリアリティがない。 海外の経験もそうで、以前、パリに行ったのが28年前だとか、そういえばフランを持っていったなぁ、待てよ、ユーロができて20年なのか、とか。 タバコをやめたのが18年前、そ

          60歳のおじいちゃん

          とある企画で、私はインタビュアーを務めている。 とあるメディアのようなものに掲載されるコンテンツで、私はそのコンテンツの制作のために準備をし、インタビュー行ない、記事化する。 インタビュイーに名刺も渡すし、挨拶もするけど、自分自身のキャリアやプロフィールを話すことはない。 先日のインタビューでは、お相手はとてもチャーミングでしっかりした、とある企業の若手社員。 日本の企業やそこで働く若者を心配する大人たちは多いけど、実際に話を聞くと、この国はどちらかというと良い方に向かって

          60歳のおじいちゃん

          「手酌通信」

          「日本手酌振興会」というものを、2012年4月11日に始めた。その頃に書いたのは・・・。 -------------------- 会則はなし。 酌をされることを拒まねばならぬのではなく、 お酌をしてくれる仲良しに、 「いいんです。日本手酌振興会の会員ですから」 と微笑んで説明してみてください。 人に酌をすることも禁じるものではありません。 ほとんど知らない相手対し、酌を拒むのは至難の業です。下手するとやな奴だと勘違いされてしまいます。 そういうとき、タイミングを見て、「