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短編【神の僕となりたれば】小説

山岸やまぎし誠治せいじ教誨師きょうかいしになって三年が過ぎた。
これまで八人の死刑囚と対話し、そのうち三人の死刑囚を棺前教誨かんぜんきょうかいで見送った。
教誨きょうかいとは『教えさとすこと』である。
罪を犯した者と語らい、彼ら彼女らの悲痛をうけ入れ教え諭す。

しかし山岸やまぎし誠治せいじは、死刑囚たちの話を聴いていると常に自分が諭される気持ちになった。
殺人という罪を犯してしまった者たちの半生は、山岸やまぎし誠治せいじにとってはどれも壮絶だった。

あらがえない運命に放り込まれ、もがくうちに犯してしまった罪。
彼ら彼女らも、ある意味、被害者である。
などという理屈は世間では通らないし、山岸やまぎし誠治せいじ自身も通すつもりもない。
人を殺めるに足る理由など、ある筈がない。

しかし、それでも教誨師は、教誨師だけは、どのような卑劣な殺人者であっても最後のその日まで、彼ら彼女らの安らぎのために、ただ一人そばに寄り添う。

午前五時二十五分。
いつもの時間に山岸やまぎしは目覚めた。
念のためにセットしている目覚まし時計を五分前に止めて、朝の礼拝の準備に取り掛かる。
山岸やまぎしは【エレサレム基督教会】の神父である。
山岸やまぎしが管理する教会には今のところ助祭じょさいは派遣されておらず、山岸やまぎし一人で教会を切り盛りしている。
そもそも【エレサレム基督教会】自体がそれほど大きな教会ではないので一人で事は足りている。

山岸やまぎし黒衣スータンを着込み、朝の祈りを捧げる。
そのあと、教会の外に出て軽く掃き掃除をし花壇に水をやる。
そして、午前七時から始まる朝のミサの準備。

たしか、今日は午後から孤児院【聖ニコラオ園】に行って訪問礼拝の日だ。
山岸は今日のスケジュールを頭の中で確認する。

「あの。お祈りを捧げても宜しいでしょうか?」

その日の夕刻。
夕べのミサも終わり、近所の熱心な信徒たちが帰ったあと、ミサの後片付けをしている山岸やまぎしに一人の若い女性が話しかけてきた。

「どうぞ、宜しいですよ」
山岸やまぎしは手を止めて、女性を祭壇へ招き入れた。
見たことのない顔だった。

女性は祈りを捧げたが、祈りの言葉か出なかったので初めて神に祈るのだなと山岸やまぎしは思った。

山岸やまぎし誠治せいじさん、ですか?」
「はい、そうです。どこかで?」
「いえ。これを読んで」
女性がハンドバッグから一冊の本を取り出した。
それは山岸やまぎし誠治せいじが半年前に出した本だった。
教誨師に成り立ての一年間の出来事を書いたエッセイだ。

「ああ、そうですか。ありがとうございます。どうぞ、お座りになって下さい」

山岸やまぎしは木製の五人掛けベンチに女性を促した。
女性は五人掛けベンチの左端に座った。
山岸やまぎしも相対するように、隣の五人掛けベンチの右端に座った。

「神父さん」
「はい」
「どうして神様は不公平なんですか?」
「神は常に公平ですよ。時々、神の意思が分かりづらくて不公平に見えてしまう事もあるけれど、神は全ての人に等しく愛を分け与えていますよ」
「神の意思は分かりづらい」
「時々ね。だから私たちが居るんです。何かあったんですか?良くれば話を聞きますよ」
女性は目を落とし、手元の本の表紙を暫く見つめた。

「神父さん、下野しもつけ朋也ともやを知ってますよね」

下野しもつけ朋也ともや
死刑囚である。
山岸やまぎし誠治せいじが教誨師として初めて最後まで寄り添った者でもある。

山岸やまぎしは一瞬、言葉が詰まった。
守秘義務が言葉を奪った。
彼の事は話てはならない。

女性は手元の本の付箋が挟んである箇所を開いた。

「ここ。ここに書いている死刑囚Sって、下野しもつけ朋也ともやの事ですよね」
「どうして、そう思うんです」

死刑が執り行われた年の記載。
月日は書いてはないものの、季節を特定のする表現。
下野しもつけ朋也ともやの特徴的な口調の描写。

迂闊だった。
下野しもつけ朋也ともやの身内の者ならば、その幾許かの情報で特定することも当然出来うるだろう。
配慮に欠けていた。
そう言わざるを得ない。

「神父さんは、あの男のために祈ったんですか?神様は、どんな罪を犯しても最後は許すんですか?私がどんな思いで死刑を望んだか…。それなのに最後の最後にで祝福されるのですか?」
「あの…あなたは」
下野しもつけ朋也ともやは、下野しもつけは、私の母を、姉を…殺した男です」
絞り切るようにそう言うと女性は堰を切って泣き出した。

下野しもつけ朋也ともやは八年前に母子家庭宅に強盗目的で忍び込み、一家三人の死傷事件を犯した。
その時、次女の折口おりぐち早苗さなえは右肩に全治二ヶ月の深い傷を負って逃げ出した。

山岸やまぎし誠治せいじの目の前にいるのは、その時の生存者、折口おりぐち早苗さなえだった。
折口おりぐちは古傷が疼く左肩を抱えて咽び泣きながら声を絞り出した。
「罪を犯した…者が許されるのは……不公平では無いんですか?私は……あの男に……死んで……死んで欲しかったわけじゃ……ないんです。地獄に堕ちて欲しかったんです。それなのに……神様は…神様は本当にあの男を…許したんですか?」

咽び泣く折口おりぐち早苗さなえの膝上から山岸やまぎしのエッセイがずり落ちた。
付箋が貼られていた本のページにはこう書かれていた。

『死刑囚Sは十分苦しんだ。それを誰が責められよう。彼は彼の人生の最後に神に祝福された。神は彼の全ての罪を赦された。——然れど今は罪より解放されて神のしもべとなりたれば、潔にいたる賓を得たり、その極は永遠の生命なり(ローマ人への書 6:22)』

折口おりぐち早苗さなえの嗚咽は夜のしじまに溶けていった。


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