勝人塾のアップデート論~事務局・主宰の思考を革新せよ~

この記事は、地域で開催する勉強会に、中々、学びきろうとする仲間が増えなかったという主宰者としての気づきを書き綴った。

しかし、それは決して「君たち、全然学びを分かってないねえ」という高飛車な見解を述べたわけではない。

私が言いたかったのは、シンプルに、「事務局として、本当の価値を伝えることができなかった」という反省・自戒でしかない。

しかし、投稿に対してのバズり方を見ていると、まるで「我々の本当の意を理解せずに、表面的なところばかり見て学びを続けない人たちはバカだ」と言わんばかりのバズり方に私は違和感を隠せない。

最近、私は「勝人塾」がオワコン化してきていると感じていた。
そして、今回、内輪(主宰側)でバズったことで余計に確信した。

その原因は、アイコンであり、指導を提供している佐藤勝人氏の指導法とか指南法、知性や感性、そして彼が編み出す戦略論の問題ではない。

問題は、主宰、つまり事務局が進化していないということだ。

は?何を言ってんの!?と思われる方にシンプルに言えば、こう表現しておこう。主宰者による「思い上がり」がオワコン化の原因であるというこを。

誤解を恐れずに言えば「佐藤勝人を無駄遣い」して、「佐藤勝人の能力を総動員」しきれていない点が本質的な課題なのだ。

もっと説明すれば、具体的に3つの指摘がある。

①いつまでも「学び方を学ぶ」レベルで止まっている

勝人塾の基本コンセプトとして、よく言われるのは「学び方が学べる」という思考法の側面が強いPRだ。これはあくまでも「呼び水」であり、「本質」ではないことを強く言いたい。

本来の「本質」は、その「学び方を学ぶことで、何かを達成するため」である。そのために既成概念に捕らわれず、縛られず、しがみ付かずに、総合格闘技のようにあらゆる多面的な思考を用いて、学習して自分を磨ききろうというのが本来の「本質」である。

そう考えると、「達成を目指すのための場」である勝人塾が、「学び方を学ぶための場」へとダウングレードしたということになる。
ダウングレードしたかったのではないが、より分かりやすく伝わればという願いが、結果的にダウングレードを引き起こしたと思う。

それは、私の「勘違い」のせいと言える。
どういうことか?

自分の周辺にいる商業者の仲間は、学び方を知らないから、積極的な学びを行わないのかもしれないと、ある種の「仮説」を頼りに、呼びかけ方を固定してしまった点が「勘違い」の原因だと判断する。

今、振り返れば、何故積極的な学びに参加しないのか、出来ないのかを考えてみると、答えは違う側面を見せる。

それは、「そもそも学ぶ意味や目的を見いだせていない」という側面であり、ズバリ言えば「本質的な課題」に直面していないか、もしくは目を伏せているせいなのかもしれないと分かってきた。

そう考えると、「学び方を学ぶ」という真意が通じる訳もなく、私の呼び掛けは空虚なものだった。ゆえに、常に数名の参加者しか集まらない。

何故何かを学ぶのか、何故何かを目指すのか?
ここを不鮮明にしているような次元の商業者に、勝人塾が効果を発揮するわけがない。そこに気づくのが遅かったと言える。

当然と言えば、当然である。
そもそも、主宰になろうということは志高く、一緒に頑張り合える仲間を探しているからこそできることであり、課題が見つからないような次元で、このような勉強会を開催し、続けようなんて思うはずがない。

だからこそ、成長レベルが低い、駆け出しの商業者の気持ちや事実に目が向かなかったことは否定できない。そこが勘違いの根本である。

どんなに「学び方を学ぶことで、あなたの道が開ける」なんて言ったところで、妄想の想定となる人たちへの呼び掛けなど効果なかったのだ。

本当は「達成を実現できるために学ぶ場」なのである。
そもそも、佐藤勝人氏は、そこが最大の強みである。

つまり、勝人塾は、佐藤氏が唱える「地域一番化戦略」や「顧客一体型経営」を無力化してしまうような場でしかなくなったと言いたい。

「学び方を学ぶ」で思考が止まってしまった。
そこが勝人塾をオワコンと化させてしまう根本の要因だ。

②すべてを佐藤氏に依存し、一方的な対話スタイルから脱却できなかった

勝人塾の強みは、インタラクティブな対話による思考力の鍛錬である。
であるのに、主宰含め参加者が、佐藤氏の知識・情報・知恵を一方的に受け取ろうという「安心領域」から出ることなく、エサを待つ動物のような姿勢を取り続けた点がオワコンの始まりでもある。

学びとは、自己破壊である。
つまり、これまでのやり方を破壊しても、これからのやり方を獲得する旅である。

ゆえに、学ぼうとすれば、昨日までの自分と決別し、今までに見たことのない新しい自分と遭遇してしまう。そこに、戸惑いを感じながらも、緊張感を持ちながら、新しい自分を受け入れながら、ステップアップしていく覚悟が必要だ。

これまでの勝人塾は、主宰が何も考えることなく、ただ佐藤氏を席に着かせて、フリーハンドで講義させて、主宰は開催した自己満足に浸るばかりではないだろうか。

あるべき姿としては、一方的なものではなく、相互的な対話となるはず。
しかしながら、そこが体現できないのは、偏に、主宰側の勉強不足としか言いようがない。佐藤氏と対等な立場なのに、「甘え」のせいで対等になれていない。そこが問題でもある。

参加者は、常連さんだろうが、一見さんだろうが、関係ない。
おそらく、主宰と佐藤氏とのやり取りのレベルが高ければ高いほど、圧倒されたとしても、無知に気づいたり、新たな発見をした時に感動が大きくなり、また参加したいと思うのではないだろうか。

つまり、参加者の目指す場所は、まずもって主宰のレベルであり、主宰に対して期待を抱けなければ、来るはずもないだろう。

このような主宰が「虎の威を借る」ようなスタンスが、勝人塾を停滞させるのだと痛感している。

③「分かったような気で、胡坐をかく」のようなホーム感に浸っている

主宰は、一応、佐藤氏の姿勢や論理に対して、信頼を持って勝人塾を開催さいている。しかし、その信頼は、以前「依存」であり、置くべき信頼に必要な「確固たる信念」は薄っぺらいとも言える。

ただ、主宰としては、常に学び続けている自負もあるので、それなりにお利口な側面を見せることは可能だ。しかしながら、そのお利口さの根拠は「分かったつもり、分かっているつもり」だったりする。

願わくば、主宰とは、独自理論を持った上で、佐藤氏との対話を通して、新しい価値を創出できる人間でありたい。それは要するに、「知性のプロレス」に近い。

言葉にできない(非言語)ことを、言葉に出して(言語化)対話することで、自身の論理は磨かれ、そして佐藤氏の論理もますます磨かれる。

大事なのは、お決まりに支えられた安心感ではなく、常に革新を求められ、額に汗して、心に汗をかき、恥をかいてでも体得するインテリジェンスではないだろうか。

例え、参加者に恥ずかしいと思われても、自己開示しまくって、自分自身をブラッシュアップしまくる姿に、参加者は勝人塾での学び方の神髄を知るのではないだろうか。

自戒をすると、そう気づいている。

勝人塾というコンテンツは、勝人塾主宰というプラットフォームで光り輝くが、そのプラットフォームがオワコンと化しているようでは、一緒に勝人塾もオワコン化するのは当然である。

「一見さんは、何もわかっていない」とホーム感に胡坐をかいている場合ではない。

「なんで、あの一見さんは、あんなふうに感じてしまったのか」をとことん突き詰めるように思考して、勝人塾というコンテンツの魅せ方をブラッシュアップし続けるのが、本当の主宰ではないだろうか。

そんなことを、本気で感じて、思っています。


最後に総括として。

今後、勝人塾がどんな「場」を提供するのか。
それは、全て、各地の勝人塾の主宰の手腕に依ると感じている。
つまり、各地の主宰が成長して突き抜けなければ、勝人塾も成長できません。

それはつまり、「佐藤勝人氏の無駄遣い」なのです。
それでは、参加者も消えていくことでしょう。

それに、佐藤勝人氏が持つ能力はまだまだ広く、深い。
そして、主宰は全然、その能力を引き出しきれていない。
それを知り尽くすためにも、全部引き出すためにも、主宰の成長は欠かせないでしょう。

ということで、勝人塾に参加しない人や、一見さんをバカにしている暇があったら、根本の原因は主宰にあると謙虚に、次なる手を打つ度量を養う方が大切なのではないだろうかと感じています。

今後の勝人塾をどうしていくのか。

各地の勝人塾それぞれに、個性を発揮して、佐藤氏に依存しない、佐藤氏をコキ使って使い切ってでも能力を総動員されてでも、本物の勉強会へと発展させていかなければなりません。

その覚悟があれば、見えれば、おそらく参加者は増えていくでしょう。
なぜなら、時代はその姿勢を求めているから。

ということで、主宰は頑張らなければならないのです。

主宰は、それぞれ、深く考えてみて頂きたいと願います。
「勝人塾」のこれからを。
主宰としてのこれからを。

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