本質的な課題から学ぶ本物商人への超克

4/24、とやま勝人塾が開催された。
今回も、多くの気づきと学びを、得ることができた。

今回、改めて学んだことがある。
それは、先日、書いた記事にある「本質的な課題」についてだ。

「そこを解決しないがために、前進できないというボトルネック」と表現したこの「本質的な課題」とは何なのか。
そこの真実に気づいたことが成果と言える。

「本質的な課題」の正体とは、これだ。
それは「本当に、お客さんを知ろうとしていない惰性」である。

説明するには中々骨を折るので、シンプルに言ってしまえばこうだ。
「お客さんのことなど本当はどうでもよくて、お客さんが知りたいこと、見たいこと、感じたいこと、触れたいこと、言葉にしたいことに対して、全然興味がないこと」、これが課題の真実である。

日々、お客さんとの接点において、自分の知識や価値を押し付けることで忙しく(多くの人はこれを仕事と見誤っている)、お客さんの欲求・要求・要望などを感じようともしていない(全く、悪気のない無自覚)」のである。

考えていることは、自分の出来る範囲におけるエクスキューズ(言い訳、弁明)。つまり、自分の出来ることを限定して、その中で如何に対応しきろうかという工夫(手抜き)しかやっていない。

つまり、その「自分の出来る範囲(受動的な思考として)」を超える、「自分の出来そうな、またはやってみる価値がある範囲(能動的な思考として)」に関しては、目をふさいだり、言い訳したり、面倒で逃げたりしているのだ。それは無意識的な行為として。

多くの商売人は平気で言う。
「私は、お客さんをよく見ていますよ、よく知っていますし」と。

しかし、それは「顔を見ている次元」に過ぎない。
要するに、そのお客さんのニーズの真意(文脈・背景)までを汲み取ろうとは決してしていないし、するということを知らない可能性もある。

そう鑑みると、「本質的な課題」とは「お客さんのことが分からないがゆえの思考停滞、行動停止」と表現できる。まさに無知なのである。

ということは、解決には「お客さんを、正しく知ること」が求められる。
では、どうやったら「正しく、知ることができる」のだろうか。

解決に必要なことは、まず「意識を持つ(意識的な思考及び行動)」ことである。
それは、「お客さんはいつも正しい。常にお客さんから学ぶこと」と意識的に、原則を自分の中心に置いて、商売に臨むことである。

毎回、参加している塾生諸君は、極めて優秀な商売を展開している。
切羽詰まっているような商売人は居ないし、皆業績も安定・もしくは伸びている人ばかりだ。

しかし、その中においても、商売の現状・実情を聴くと常に感じる。
それは「本当の意味で、お客さんを理解している」とは思えないということだ。

自分たちが創り上げた商売、価値を高めた商品、懸命に考えた値付け。
それは、みんな素晴らしいし、秀でているとしか表現できない。
ゆえに、多くのお客さんが支持してくれているのだ。

とは言っても、「本当の意味で、お客さんを理解しているとは思えない」の私の感想だ。

その理由は、商売において勝負をかけるタイミングが「その商売における慣例や習慣」に紐づいたものばかりで、お客さんの欲求やニーズの高まりの時流を読んだ上での戦略・戦術ではないものばかりだったからだ。

単純に「いくらいくら、欲しい」という商売、もしくは「何人来て欲しい」という商売ばかりやっているように見えて仕方なかった。
それでは、自分たちのような店側は熱くなれても、お客さんは冷めるだろうなと直感せざるを得なかった。

本当に大切なこと、必要なことは「お客さんの商品に対する、もしくは店に対する熱狂を呼び起こし、その熱狂に応えるために、如何に商売を創りこめるか」ではないだろうか。

「お客さんが、知りたいこと、感じたいこと、見たいこと、触りたいこと」をどれだけ知ろうと努力し、知り尽くし、先手を打って、先に表現してあげて喜ばせて、シビれさせられるか。

そういう意味で、やはり商売とは、品揃えや陳列だけに留まらない。
「目配り、気配り、心配り」が基本中の基本となるとしか言いようがない。

今の商売人は、「自己肯定」ばかり追い求めすぎて、「自己承認欲求」に固執している余り、お客さんの事情(背景や文脈)に気づきもせずに、一方的な押し付けを繰り返し過ぎて、お客さんがドン引きしていることさえにも気づいていない可能性がある。

口先では、「お客さんに寄り添い、お客さんを大切にし、お客さんに尽くす」なんて調子の言いことを言いながら、頭の中は「自分は正しいですよね?」と言わんばかりの押しつけ商売が多すぎるようにも感じる。

そんな「自分を優先するばかりのなんちゃって商売」にお客さんがいつまで付き合ってくれるのか。悪いけど、瞬間でお客さんの波は引くだろう。

そんなことを、とやま勝人塾での貴重な対話から、感じ取った。学んだ。
そういう意味で、やはり勝人塾は優れた学びの場であると言っておきたい。

先日、事務局の成長次第で、「優れた学びの場」にもなるし、「オワコンの場」にもなると、ある意味二律背反、アンチテーゼとしての立ち位置を記事にした。

しかし、勝人塾の本当の力を私は過小評価していたかもしれない。
勝人塾の本気を垣間見ることで、自分自身の過小評価にも気づいた。

事務局が熱狂して、熱狂的に勝人塾に情熱を注げば、勝人塾はやはり「優れた商人の学び場」とアップグレードされるのは間違いない。
しかし、それには参加した商人たちの「本来の自分の強さ、本性」への自負が添えられないと、勝人塾は更なる成長が出来ないのだとも気づいた。

今回は特に、事務局である私の想いを、塾長佐藤勝人氏がきちんと理解してくださり、私への激励を込めた上で、参加者全てに、いつも以上に熱狂的に対話型指導をして頂いた。それゆえの気づきや学びでもあった。

まさに、佐藤勝人氏の「能力を総動員」させることに成功した回だったとほくそ笑んでいる。結果的には大成功である。

いろいろと私自身も、「本質的な課題」を表出した上で、勝人塾に臨み、そして邪念を落とし、真意を磨き上げて、「本質的な課題」が何なのかをあぶりだすと同時に、参加者の対話を見て、まさに「商人における本質的な課題」とは何なのかを結論が見えた神回と言える。

私が繰り返し言う「本質的な課題」に対する解決策は、非常にシンプルであり、原則的なものだった。

今回、佐藤勝人氏が参加者と対話しながら、私にビシビシ見せつけてくれたものがあった。まさに、その存在知った時から全く変割らない、決してブレないメッセージとも言える。

それは、「常に商人としての自覚を持ちながら、お客さんにトコトン尽くし、お客さんを通して商売・商品・市場・ニーズを学び、知ることが何よりも大事だ」ということだった。

最近、私も少し疲れすぎのせいか、気持ちが落ち、商売に活力を見出せなかった。そして、そんな自分にイラつき、失望し、絶望しながら、どうやって脱出できるか悶々としていた。

そんな最中、常に「それは本当にお客さんのためなのか」という原則的な問いを込めて、塾生と真剣勝負し、本気と本音で対話する佐藤勝人氏の姿に、私は自分が見失いつつある「商人としてのあるべき姿」を垣間見たのだった。

おかげで、翌日の私は、佐藤氏いわく「全く別人に見える」と言われるほど、雰囲気や目から出るエネルギーが変化していた。

やや口説く、長々と書き綴ってしまったが、「自分のことばかり考える」ことに成長や飛躍は決して存在しないのだと、改めて気づかされた。

商売は何のために、私たちの目の前に存在するのか。
商人として、商売を通して、何を成し遂げるのか。

「やりたいことを目指す」ことが、商売なのではないのかもしれない。
「やるべきことを成し遂げる」ことが、商売において熱狂を呼ぶのではないだろうか。

そんなことを感じた、大切な学びの機会でした。
いつもながら有り難し。

参加された皆様が、「本質的な課題」を乗り越えて、新しい活躍に踏み出せることを祈りながら。

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