いよいよ、自分を試す場面がやってきた~自己能力の限界への挑戦と幻想からの脱却~

写真業に従事して12年が過ぎます。

写真屋の次男坊として生まれ、写真業のおかげで育てて頂きました。
時は、写真屋バブル期でした。

両親は、兄も私も大学まで出してくれました。
おかげで、私はお金に困るような子供ではありませんでした。

いつも、親は店で仕事していて、朝から夜中まで働いている姿しか思い出せません。

夕飯は決まって、午後9時以降。
そう、閉店後でした。

なので、子供の私は当然、夜型の人間として育ちました。

とにかく、親とゆっくり何かを話したりなどする時間は一切なく、いつも忙しそうな親の邪魔をしないように一人で時間を潰しているのが精いっぱいでした。

母親は夕飯の支度の後、すぐに寝潰れていました。
父は、夕飯後、1時間くらい睡眠をとってから、また作業に戻り、夜中まで働いていました。

私の話し相手は、閉店後の店で仕事をこなす父親でした。

他愛もない雑談を重ね、そうやってでも何か親との絆を得たかったのでしょう。それが子供の心というものです。

高校時代、浪人時代まで、夜中談義を繰り返しながら、私は両親とコミュニケーションをとっていたのだと思います。

なので、朝から次の日の朝まで働くようなことに、一切の抵抗もなく、何の違和感も無く、働くことを息をするかの如く自然なこととして受け入れていたようです。

おかげで、大学生の時は、徹底的に友人たちと語り合い、大学では一番前の席で居眠り半分でも授業を聴き、勉強していました。

休み時間は、図書館で論文を見たり、古い名著をつまみ読み。
気に入れば、大学の横にあった書店で全ページコピーしてもらいコレクション。

今思えば、朝から夜中まで、もしくは翌朝まで、全力で何かに集中するという姿勢が養われていたように感じます。

そのある種、マニアックな、ストイックさが、今の私の自己成長の源ともいえます。

おかげで、大学の授業も楽しく過ごせたし、サークルでの楽しめたし、良き友人にも巡り合え、そして社会人でも楽しめる自分が培われたように思います。

いわゆる、このハードワーク型の働き方は、40歳を迎える今も相変わらず。

おそらく、これは手癖みたいなもので、こうやって生きていないと成長を感じれないというある種の病とも言えます。

実は、何かしら余裕があるから、いろいろと自分を試す場面を作るわけではありません。

常に、自分の能力に疑問を持つが故に、その不安を払拭するがために、いろいろと自分の幅を強制的に広げようとしているとも言えます。

だからこそ、勉強会を立ち上げたり、いろんな教養を学んだりするわけです。

いつも考えていることは、「じゃあ、これから澤田にこれを任せるからよろしく頼むね」と言われた時に、完全にやりきれる自分で居たいと思い続けているがゆえに、自己鍛錬の手綱を緩めないと言えます。

その登用のチャンスを自分でつかめるのか、他人に与えられるのか。
それはどっちでもよくて、結局は「チャンスは前髪で掴まなければならない」ということだと19歳の頃から思い、そして行動してきたわけです。

もちろん、そんな妄想のような展開が都合よく起こることは無く、あくまでもシミュレーションであることは理解しています。

ただ、そういう場面が来た時に「待ってましたよ!お任せください!」と意気揚々と引き受けられる自分でありたいと願い続けたのは間違いありません。

社会に出て、17年くらい経ちますが、そういう場面は何回かありました。

一つは、入社同期の中で最短で昇格した時。
一つは、人事部に異動した時。
一つは、営業部へ転属した時。
最後は、家業を継いだ時。

しかし、家業を継いでからは、全くそういう機会を創出できなかったのが非常に大変な思いをしました。

なぜなら、家業を継ぐまでは、他人にチャンスを作ってもらったのに対して結果が出せただけであり、自分で作りだした感じがしなかったからです。

あくまでも、社会の歯車として、駆動できたに過ぎない話です。

ただ、家業に入ってから12年は、自分で機会を作らない限り、絶対にチャンスが来ないことは理解していました。

ただ、やはり未熟なこともあり、自分で創出するということは出来なかったわけです。

しかも、自分の働き方、稼ぎ方、創り方、全てが自己責任、自己の結果にのみ左右されるというシビアな世界観では、希望よりも絶望しか感じなかったのは言うまでもありません。

自営業のような仕事に、ラッキーなど1ミリもないのです。
サラリーマンと違って。

そんな絶望を抱えながら、それでも生きることを優先して、我武者羅に一意専心に努めるしかない家業を必死に頑張ってみたものの、どこかで、「今以上に自分が求められる場」や「今以上に必要とされる場」への幻想に夢を見ながら、自分を鍛え続けてきました。

その努力が、今まさに、「実るチャンス」に出会ったのです。

それが、コレ!

日本一のローカルチェーンのカメラ屋「サトーカメラ」さんとのコラボ!

本来なら、私など必要ないレジェンドが、業界のこれからの再構築のために、声がけてくれました。

有り難い、実に有り難し。

全ては、こういうチャンスの時のための鍛錬でした。
遺憾なく、能力を総動員して、自分を羽ばたかせようと思います。

まさに、正念場。

人生、やはり「最後は情熱」だと改めて感じた出来事でした。

頑張りたいと思います。

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