公共広告・マナー広告

ちょうど今、ピンクリボンデザイン大賞の応募期間中だし、これまで何回か取り組んできた経験から思うことを。ピンクリボンのように、乳がん検診の定期的な受診を呼びかけるような公共性の高い広告やマナー広告のコピーを考える際、「どんな属性の、誰に言うか」はいつも悩ましいところだ。

ピンクリボンを例にすると、あれこれ視点や切り口を増やして、いろいろな属性の女性を想定してコピーを書くこともある。母、娘、祖母、主婦、会社員、恋人がいる人etc...また、そうしたほうがターゲットがイメージしやすく、コピーが体温をもって伝わりやすいというメリットもあると思うのだけど、その一方で、たとえば「母親」に向けてメッセージするコピーを書いた場合(「家族のためにも受診しよう」とかなんとか)、それを見た人に、“じゃあ、結婚していない女性は受診しなくていいのか?”という印象を与えてしまう危険性もあると個人的には感じている。理想をいえば、その公共性の高さから、「検診の対象であるすべての女性に届くメッセージ」が望ましいのだろうなと思う(女性に限らず、たまに男性に向けて、「身近な女性に検診を勧めよう」と訴求する場合もあるけど)。まあ、とはいえ、みんなに呼びかけようとして、誰にも響かない表現になることもよくあるんだな、これが。だから選ばれないんだろうけど。とほほ。

ところで、先日、月刊『ブレーン』のC-1グランプリで、「映画館でスマホをいじらなくなるコピー」の結果が発表された。個人的には久しぶりにやりがいを感じる課題で、けっこう時間を割いて考えたんだけど、こちらも選ばれなくて死ぬほど悔しかった。まあそれはどうでもいいとして、グランプリに選ばれた作品は、ざっくりいうと「スマホをいじるくらいなら、一緒に映画を観ている人の手を握ろう」みたいな感じの内容だった、確か。これを見た瞬間の感情としては、自分が選ばれなかった悔しさが4割、「なるほど、そうきたか」という納得が4割、あとの2割は、「でも、自分は映画館では一人で観る派だしなあ」という不完全燃焼感だった。いち映画館ユーザーとして、「お前には言ってないよ」と蔑ろにされたようなさみしさもほんの少しだけあった(持ち前の被害妄想が本領発揮)。まあ、この件に関しては審査員の方がコメントで言及されているので、選ばれた理由などの答えはもう出ているのだけど。

そのほかにも、安全運転、路上喫煙、痴漢防止、防災、薬物、いじめ、差別、人権などなど、公共広告・マナー広告は社会的意義も大きいし、そのコピーを書くことは本当にやりがいがあると思う。だからこそ大きな責任も伴うし、いろいろな人に全方位的に配慮する慎重さも要求される、かなり難しい作業でもある。ただただ少しでもいい社会にしたいと願って書いたコピーが、思いもよらぬところで誰かを傷つけてしまったり、最悪ネットで炎上してしまう可能性を考えると、書く側としても相応の覚悟を持って臨むよう心掛けていきたい。

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