戦いの連想

『大砲とスタンプ』という漫画を読んで連想したことをば。

『大砲とスタンプ』は主役が兵站に所属する戦争を取り扱った漫画である。ただ、兵站が部隊なので書類を出すという話や管理部が何かおかしいことに顔をつっこむような話が出てくる。
戦争に関する話でいわゆる裏方的な武力的に戦うシーンはメインでない。ただ、兵站は重要であり兵站部門・紙の兵隊ならではの戦い方がある。そうやって戦っていく。

読み返していて、『棋士と哲学者』という本の序盤で「洗練された戦い方」というワードが出てくる。正しい理解かわからないが、SNSをはじめ戦いは簡単に生じさせられるが、本当に戦うべきタイミング相手はそんなに多くない。だからこそ、戦う場面・戦い方は考えるべきだという話かもしれないと感じている。

兵站部のように戦うには、自分が相対的にどんな戦い方ができるかどう位置づいているかの自覚がいる。
そもそも戦うためには、戦う「対象の設定」と「勝利条件の策定」が必要でそのための「手段として何ができそうか」を探す。あたりがい気がする。

戦いを行う必要はないが、戦い方を知っている必要はあるように思う。わかりにくい対象に対して戦うとき、何から学ぶべきか。学びたい。

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