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おわかれだ

先日、友人のシンくんが旅立った。突然のことだった。まだ26歳だった。

2月の末に一緒に写真を撮りにいったばかりだった。彼の日産車に乗って3人、夕暮れの観光地・青島へ行った。綺麗な夕焼けと海を撮るはずが、暴風で重たい雲も流れてきた。寒い寒い! なんてみんなで笑っていたのが彼との最期の会話だったかもしれない。

シンくんとは4年前、新型コロナが流行り出したころに知り合った。馴染みのコーヒー屋で知人を介して。お互いに「よくいますよね」みたいな話がきっかけだったかもしれない。確か僕はそのころ仕事用として買ったばかりのフジフィルムのミラーレス一眼を見せびらかすように持ち歩いていた。シンくんのテーブルには、さまざまなカメラがどっさり置いてあった気がする。フジやニコン、デジタルやフィルムが入り混じっていた。カメラについて話しかけてきたのは彼が先ではなかったか。それ以来、お互いにスナップを撮りに行ったり、写真を見せあったりする仲になった。

シンくんはカメラギークだった。フィルムもデジタルも、カメラのことに詳しかった。年の離れたベテランの写真家、プロカメラマンとも話が通じるほどだった。僕から見るに、彼は写真というよりもカメラ機材のほうが好きだったように思う。このカメラ、このレンズ、この機材だからこそ撮れる写真がある、そんな感じだった。

とはいえ彼の撮る写真を僕は大好きだった。でないと仲良くならなかったかもしれない。写真の雰囲気、色味、光と影、コントラスト。風景写真も人物写真もストリートのスナップも、そのどれもに引き込まれた。映えでも可愛いでもなく、彼自身の情緒、強度、息遣いがそこにはあった。引き込まれるもの、迫り来るもの。

だからこそ、僕は彼と一緒に写真を撮ることで、彼から技を習得しようとした。最初は上手く撮りたいだけだったけれど、後々気づくのは写真を撮ることそのものの楽しさだった。目の前の好きな光景、感動した景色。その一瞬に照準を合わせシャッターを切る。見えた通りに撮れたこともあれば、上手く撮れないときもある。はたまた撮ることによってさらに感動が増すこともあった。それらにいちいち感動していたんだ。だから一時期カメラ小僧になって毎日カメラを持ち歩いていた。コロナで人の少なくなった観光地、街、自然のなか。ひたすらに撮り続けた。

そうだ、シンくんは僕に写真を撮ることの楽しさを教えてくれたんだ。何かの目的やSNS上での映えからかけ離れた、誰かの称賛や承認をもらうところからかけ離れた、写真を撮る行為、衝動的に撮らざるを得ない行為。写真で今ある出来事を残していく、あるいは残っていくということ。仕事で写真を撮る以上の意味や楽しさが僕のなかで育まれた。彼は僕にって「友人」であると同時に「師匠」だった。

今後もずっと、彼は写真を撮り続けていくものだと思っていた。なんなら写真家として食っていくことだって匂わせていた。2024年は個展をすると宣言していた。年のはじめにはフィルム写真を額装している様子も見た。彼の今年の動き、そして未来の出来事を楽しみにしていた。

しかし、青天の霹靂。まさか、こんなことになろうとは。僕を含め、みんな思っていなかっただろう。

危篤の連絡からの訃報、そしてお通夜に葬儀。淡々としていて実感の湧かない彼の死。
棺で眠る彼の顔を見たとて、実感が湧かない。ただ、話すことも動くこともないことだけわかる。

お別れの会場へ向かうとたくさんの人がいた。ご親族、友人・知人、仕事関係の方々。みんなの姿を見ていると、また会話を聞いていると、彼はほんとうにいろんな人に愛されていたんだなと思った。ただ単に交友関係が広いとかではなくて、知り合った人たちには何かを、痕跡を残していくような、また会いたいと思わせるようなところがあった。

ちょうどお通夜の時間帯、それまで激しく降っていた雨が止んで、沈みかけの綺麗な夕日が顔を出した。周りの幾人かも話題にしていたけれど、彼が風景を撮りに行くときにはだいたい天気が崩れる。だけど、この日、このタイミングだけは晴れ間が現れた。彼は「持ってる」。ここで使ってくるとは。

シンくんがいなくなったことは、僕にとって寂しい感情が強い。一緒に写真について話す仲間がいなくなった。写真の師匠がいなくなった。

「はんちゃん、今日暇ですか? 写真撮りにいきましょう」

夜勤明けの彼からそんなメッセージが届くこともなくなった。何かが抜け落ちた。その穴を塞ぐものは、その穴と同じ形をしたものは、ない。

お別れの日、湯船に浸かりながら彼が火葬されることを思ったとき、彼の肉体がもうこの世から姿を消すのかとふと考えたとき、言いようのない寂しさがやってきた。記憶のなかを辿れば会いにいくことはできる。でも、生身の身体が、リアルに声を出す彼が、目の前に現れることはないのだから。この事実は大きい。

お風呂上がりに乾かした髪のなかからちらっと見える白髪。自分の老いを感じつつ、シンくんは白髪が生えることもなく老いていくこともない。これから貫禄ある彼を見ることもない。

突然の出来事から1週間あまり経った。気持ちの持っていきどころがなく腑抜けたように過ごしていた。同じようなタイミングで悔しいことがあったり、体調崩したり。なんだかモヤモヤする日々だった。そこから回復するように、“何か”に反抗していきたい気持ちが強くなってきた。ありきたりな表現だけど、僕は僕で精一杯生きたい。この命を燃焼させたい。

シンくん、きみとはたった4年の付き合いだった。周りにはもっとたくさんの長い付き合いのある人たちがいるなかで、こんなこと言うのはおこがましいが、きみは最高の友だった。僕のほうが9歳年上であるからこそ、きみの今後が楽しみだったし、嬉しい話を聞きたかった。

たまたま出会ってくれて、声をかけてくれてありがとう。きみがいなければ僕は写真をこんなにも好きにはなれなかった。今後もシャッターを切るときに、きみの影がちらつくことは間違いないだろう。

自作のバターチキンカレーをつくって持ってきてくれたときのタッパー、あれは大事に使っているよ。安心してくれ。

きみが写った写真を見返していて思った。やっぱり僕はきみの目が好きだ。
ふだんはおちゃらけているんだけど、どこか遠くを見ているような目、それにくっつく表情。ふいにそんな一瞬が現れるんだ。それはきみの魅力だったように思う。みんな、そんなところに惹かれていたんじゃないか。

これ以上きみのことを語るのはよそう。

僕はここできみとのことを書き記し、残す。

そして、決着をつける。

おわかれだ。
さらばだ。

2023年12月22日 青島にて撮影


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