SUPER BEAVERと日本語

まず何を書こうか迷いましたが、最近読んだSUPER BEAVERの記事について書いてみようと思います。
最初にビーバーの宣材を見たときはその”イカツさ”に圧倒されました。
何といってもぶーやんことvo.渋谷さんの容姿にまだ幼い僕は
「やべぇバンドだ…」と色眼鏡で見てしまい、遠ざけたのをよく覚えています。

当時は「予感」のリリース後だったはず

ところが、数か月後に見たJ-FESアプリ上のビーバーのライブ映像はその印象を大きく塗り替えました。「青い春」と冠された曲は僕の好みどストライクの性急なロックでそこからのめりこむように聞き、これまでにフェスで二度拝見することが出来ました。

ビーバーとの出会いはこの辺にして、今回はROCKIN’ON JAPAN 2024年5月号別冊に掲載された「SUPER BEAVER完全読本『音楽』実演編」で述べられたぶーやんのMCにフォーカスします。それは
「俺たちがすごいんじゃなくて、『俺たち』がすごいっていう一日にしたい」という言葉。
説明するのは野暮だと思いますが、一つ目の俺たちとはメンバー4人を、二つ目の『俺たち』とは会場の全員を指しています。
よく考えると、文章で鍵括弧がつけば分かりやすいものの、MCで語られれば主語が同じ文の繰り返しに困惑してもおかしくない。
しかし、私たち日本人はその意味を正確に読み取れる。
ではなぜか?その理由は日本語の主語の曖昧さではないかと思います。
文脈依存的で外国人には理解するのが難しい主語の感覚があってこそ
単なる繰り返しの文ではなく深みのあるMCとして成立している。
きっとビーバーが伝えるメッセージはジャパニーズロックバンドしか伝えられない言葉で表されているのでしょう。

音楽を「手段」と言い切るスタンスや、挫折は必ずしも必要ではないと噓無く語るこのバンドの精神がやはりかっこいいと確信した別冊でした。
読んでくれてありがとうございました。



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