見出し画像

道場

昨日は、かの講談社野間道場の剣風を継承する、正心館蓑輪道場の創立35周年・望月正房名誉師範生誕110年記念大会でした。

日本だけでなく、遠くロシアからも正心館の剣を慕う多くの剣士達が集まり、蓑輪勝館長と共に栄え有る日を祝いました。

畏れ多いことながら、私たち錬誠館文武道場にもお声がけ頂き、甲陽流の武技を演武させて頂きました。

古式ゆかしい板張りの大道場で、多くの方を目の前にして演武仕ることは、私達にとっても大変学びになり、また非常なる名誉を感じました。

蓑輪館長の心のこもったご挨拶の後に、正心館で継承されている正心館流儀「太刀筋一円之形」「小太刀一連之形」、そして古流から会津藩伝溝口派一刀流より「左右転化出身之秘太刀」及び「神刀兌山流剣術」が演じられました。

演武と言っても、ここ正心館の演武の太刀筋の確かさ、剣気の激しさは「斬る剣」のものであり、尋常の剣道では出し得ない白刃の剣風が滲み出ており、蓑輪館長の標榜され、長年求められてきた「形と試合の融合」の一つの成果を感じました。

そして私達の演武。御招待頂いた身なのでトリにやらせていただきましたが、気持ちは「露払い」のそれでした。

演目は、甲陽流吾妻伝(諏訪神流)より「婦女伝」(月之入・日之入・乗崩)の3手。
これは武家の子女が名誉を守る為の懐剣の技です。
演者…仕手・那須野晴子、打手・伊与久松風

甲陽流吾妻伝(馬場流小具足)より「必勝伝」(向・兜曳)および甲陽流甲賀伝(山家當流甲冑組討)より「鎧徹」(山颪)の3手。
これらはどちらも「指牙・挟加」と言う右手差しの短刀を遣う武田軍の戦場の技です。
また甲陽流吾妻伝(諏訪神流)より「躰轉」を。
これは敵を風と観じ、それに靡き乗り、躱す躰術を学ぶ為の形です。
演者…仕手・伊与久圓清、打手・伊与久松風

私どもが演じていたため写真などは有りませんが、拙き錬度でしたが、皆様より温かい拍手を頂くことができ、内心ほっと致しました。

この度は、正心館様においても素晴らしく意義深い会であったと思われますが、じつは私どもにとっても画期となる1日でした。

昔より演武をする場合、個人であればその技を本人が心行くまで演じれば良い訳ですが、例えば今回のように道場として演武をと言うときは、その道場の指導者は剣術で言うところの「打太刀」をする。つまり「仕太刀」を仕る弟子の心技を引き出すお役目に徹すると言う伝統があります。
師がいて弟子がいてこその道場ですので、弟子の技量こそがその道場の真価となるわけです。

今まで私は道場こそ持ちましたが、どこに出張るのも一人親方状態。お弟子さんは……と聞かれても、まだまだ私自身も未熟で、お見せするなどとてもとても……とお茶を濁して参りました。

しかしこの度、箕輪先生より「倅といつもの女弟子さんにもやってもらいたいなあ」とのお声を掛けて頂いたお蔭で一同発奮し、ただの「稽古場」であった錬誠館が、やっと「道場」として立たせて頂けたのだと感謝しております。

久しぶりに道着を着た息子も、なんとか最後まで気を張りながら打ち終える事ができ、少し雰囲気が変わって来ました。那須野女史も、長年の稽古の成果が発揮され、当初とは見違える気迫を表しておりました。

こんな師匠に過分な弟子達の働きで、錬誠館は地を這うように飛び立つ事が出来ました。

いつかは「峡北に道場ふたつあり、一に正心館、二に錬誠館」と、並び称されるよう高く羽ばたければ……と希望も新たにすることが出来ました。

文末ですが、蓑輪館長先生、また塾頭の宮川順心師匠、そして正心館道場に関わるのすべての皆様に、心よりのお祝いを申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?